ママ通信

vol.020
違和感から子どもを知る

行かないでと言っても行く。押さないでと言うと押す。やりなさいと言うとやらない。イヤイヤ期、反抗期、思春期など自分たちも通ってきた道かもしれませんが、そんなことをすっかり忘れて、少々子育てにイライラしてきた夏休み中盤です。

「これ飲んでいいの?」

週末の昼下がり、リビングに入ってきた5歳の次男がわずかに残ったペットボトルのジュースを見つけて聞きました。遅れて入ってきた小学4年の長男が「いいな」と言ったので父親が「コップに入れて飲みなよ」と次男に言うそば、次男はペットボトルのまま一口。人の唾液にこだわる長男は飲めなくなったので、「パパの言うことを聞かないからだぞ」と次男は父親に怒られました。

冷蔵庫に1本だけペットボトルのジュースを見つけた長男は、「飲んでいい?」とキッチンから声を掛けてきました。次男が「いいな」と言ったので父親が「コップに入れて飲みなよ」と長男に言いましたが、長男はペットボトルを口に傾けながらキッチンから出てきました。

今度言うことを聞かなかったらガツンと言ってやろう、そんな思いを父親は大きく肩で息をして耐え、「コップに入れて飲むように言ったのは聞こえなかったのか?」と長男に聞きました。長男は「・・・聞こえました」と答え、父親にガツンと怒られました。その瞬間の長男は目を丸くして驚き、その目から大粒の涙が何度もこぼれ落ちました。

長男は興味のあることには驚くほど行動力を発揮するのに、そうでないとゴロゴロばかりしています。親が言っても面倒くさいとしないことが沢山あります。それでも、食器棚がすぐ側にあるキッチンにいながら、ジュースをコップに入れることを面倒くさがるだろうか?父親の言葉を無視してボトルのまま飲むだろうか?私は何となく違和感を抱きました。

「本当にお父さんの言葉が聞こえたの?」私は長男に助け舟を出してみましたが、「聞こえたよ」と泣きじゃくりながら答えます。今回の状況で面倒くさがるとは思えない、だけど父親の言葉は聞こえている。だとしたら残る理由は一つしか思いつきません。弟に飲ませたくないからわざと口をつけてペットボトルを飲んだの?長男は顔に伝わる涙が左右に飛ぶほどに大きく首を横に振りました。

感情をコントロールしたり相手に上手く伝えることがまだまだ得意ではない長男。思いを直接行動で示すことも多いけれど、「わざとボトルのまま飲む」という理由にも、目の前の息子と違和感があります。

長男の赤い目が乾ききった頃、「お父さんの言葉が聞こえていたのに無視したとは思えないのよ」と息子に話しかけてみました。息子の説明によると、父親の言葉は聞こえていたのだそうです。しかし、その前に弟を怒っていたから、その言葉は自分ではなく弟に言っていると思っていたと。だけど「お父さんの声が聞こえたか?」と聞かれたから「聞こえました」と答えたら、正しく答えたのに怒られて怖くてびっくりしたのだと。

誰も間違ってはいないけど、すれ違っている。すれ違いが納得できた今はコントのようで面白い。これまでにもこんなすれ違いは友達、先生、家族、親戚などと沢山ありました。誤解されたままのすれ違いもきっとあると思います。こんなすれ違いに気づく一つの方法が「違和感」なのかもしれません。そして違和感を支えるものは、日々の子どもとのやり取りの中に転がっているのだと思います。

ROCKETにも様々な子どもが訪ねてきます。幾らか一緒に時を過ごした子どもの言動に時々違和感を覚えることがあります。その違和感を紐解くと、そこに子どもの本当の思いがあったり、時には子どもの成長によるものだったりします。

違和感は、子どもに関わるタイミングをとらえる上で、とても役立つものかもしれない。そんな風に思うと、子どもとの地味な日々に、色んな試しやそれに対する子どもの反応、そしてその反応に対して更にどんな試しを重ねるか、そんなやり取りと観察が楽しくて仕方なくなりませんか?イライラを一時忘れて、また今日から私も子育てを楽しんでみようと思います。

【赤松 裕美】

異才発掘プロジェクトROCKET コーディネータ。東京大学先端科学技術研究センター研究員。専門は教育学。

vol.019
思考の変換

トマトにリンゴ、スイカに桃にくだもの。・・・ん?「ママ、くだものってどんなやつ?」そんな素朴な疑問を持ちながら、幼稚園に通う次男はグループという概念を知りました。

多くの物はその性質から似たもの同士を集めてグループにまとめることができます。同質なものをカテゴリー化することは、小学3年になった長男も学習します。例えば夏休みに奮闘した感想文。ストーリーなのか自分の感想なのかを分類したり、事実なのか想像なのか希望なのかを分類します。そうして思考を整理して、感想文で伝えたい事を順序立てて書いていきます。感想文に限らず、この整理がなかなか難しい。だから我々は長い期間をかけて学んでいきます。

国語はもちろん、算数、理科、社会、英語、美術や体育、家庭科と多岐にわたって私たちは類型化を学んできました。それは今私がよく使う、クックパッドという料理のレシピアプリでも使われています。おかず系、スイーツ、簡単、圧力鍋、HB(ホームベーカリー)など、様々なキーワードで分類されたレシピは探しやすくて便利です。

しかし、グループ化を学びつつある次男の遊びは毎日異なります。折り紙を丸めて刀らしき物を作ったり、ガチャポンで出た小さなフィギアをテレビ前の埃と戦わせたり、洗面所で泡をモコモコ作ってみたり、靴を並べたり。遊ぶ時間もスケジュールが決まっている訳でなく、とにかく暇が遊び時。長い時もあれば一瞬の楽しみもある。そんな小さな息子を眺めながら、分類や時間が当たり前になっていた自分の生活を振り返りました。実際、整理や時間を尺度に理詰めで生活することは、手っ取り早くて無駄が少ない。ロスなく家事や子育てをこなせることも確かです。だけど今の私には、テレビ前の埃が戦う相手に見えることは決してありません。

ROCKETでは多くの保護者の方から毎日のように相談や問い合わせがあります。その中には、子どもが発達障害だと言われたけれどどう育てたらいいのか?とか、ADHD(注1)やASD(注2)だと言われた子どもだが好きなことを伸ばす良い子育て方法はないか?という質問が少なくありません。

我が子と接するとき、「発達障害」という抽象的で大きな分類をやめてみませんか?目の前にいる我が子を、我が子の心を、学びを、生き方を見つめてやりませんか?誰かにカテゴリー化された視点で子どもの育て方を考えるのではなく、一度あてはめたカテゴリーを、一旦外して眺め直してみる。カテゴリー化によって見えなくなっていた我が子の本当に必要な物を発見できる思考への変換です。私達大人の様々な思考の変換が、きっと豊かな子どもたちの未来につながっていくような気がしてならないのです。私は自分にも問い続けながら、ROCKETに相談を寄せてくださる保護者の皆さんと子どもを見守っていきたいと思っています。

(注1)ADHD:注意欠陥・多動性障害

(注2)ASD:自閉症スペクトラム

 

赤松裕美

vol.018
小さな子離れの積み重ね

ランドセルを背負い、手にバラバラと荷物を持ち、慌ただしく今朝も小学3年の長男が朝日の下へ走り出していきました。危なっかしくも愛おしい朝です。

出勤と次男の保育園の準備に追われていると、玄関のドアノブがガチャガチャと焦る音を荒げます。またかと思う気持ちと、今日は見送ってから20分も経っているのに?という不信感が交差します。ドアを開けると、泣きながらゴーグルがないのだと焦りイラついている長男がじたばたしていました。

私の息子は忘れ物王です。先のこともあまり考えない。もしくは想像が苦手なのかもしれません。そんな息子の翌日の学校の時間割りや持ち物の準備を、私はほとんど手伝いません。小学2年生までは夜にこっそり確認して、声掛けをしたり放っておいたり様子をみながら試してきました。小学3年生からはいよいよ息子に任せることにしました。

3年生になってから、登校したはずの息子が2、3分で何かを取りに帰ることが増えました。息子はいつも大慌てです。この繰り返しの中で忘れ物が少し減りました。ほんの少しだけです。周りから見ると相変わらず忘れ物王かもしれませんが、私から見ると思わずハグをしてしまうような小さな小さな嬉しい変化です。これまた時間管理の作戦も練り始めました。学校へ出ていく時間はテレビの横に大きな時計を置いて必ず見えるようにしています。スイミングへ行く時間はiPadでアラームをかけているようです。決して効率的とは言えませんが、自分なりの試行錯誤を今は応援するのみです。ご想像通り失敗もまだまだ減りません。

そんな息子が今朝は久しぶりに大泣きでイラついて戻ってきたのです。実は今年最後のプール日にも関わらず、その道具や親の承諾書を持参するのを忘れていたのだそうです。この夏とても頑張った水泳の締めくくりです。早く行かないと始業時間に遅刻です。遅刻にこだわる息子の焦りようを目の当たりにすると、ついつい自転車の後ろに乗せて猛ダッシュしそうになってしまいました。

結局私は、「車に気を付けてね」と大げさにゆったりと、今朝と同じように玄関先で見送りました。それが息子の最善だと思いながらも、泣きじゃくりながら背を向けて歩く息子の「今」を手伝ってやらなかった罪悪感は夕方まで尾を引きました。仕事から帰宅して会った息子は、笑えるくらいいつもの様子です。私はどうしてこんなに親バカなのかと、たわいもない日々の1コマに一喜一憂する我が身にため息笑いが出ます。きっとこの繰り返しなのかもしれません。でも、この小さな子離れを繰り返すことが、私がしてあげられることなのかもしれません。

明日は虫採りのために虫カゴがいる!と、今朝の甲斐あって事前準備に余念がないのですが、今は夜の9時。もはや購入できる時刻をまわっています。さて、虫採りの前に、まず家の中で虫カゴらしき物を探す必要がありそうです。今夜もちょっと惜しい我が子はやっぱり愛おしくて面白い。

 

赤松裕美

vol.017
楽しむ気持ちを育てる

梅雨の合間に太陽がカッと顔を出す夏日、蒼空を見上げると長男が3歳だった頃の誓いを思い出します。

その当時アメリカで幼稚園に通っていた息子は、ある朝から急に幼稚園が怖いと行き渋りを始めました。その頃、幼稚園では保護者向けのSing-A-Longという発表会のために、毎日、歌の練習をしていました。幼稚園でしか英語を使わない息子にとって、聞きなれない歌の練習はとてもそのスピードについていけず、幼稚園に行くのが怖くなったようです。それでも帰宅した息子は♪イッジ、ウィッジ、スパイダー、にゃにゃっにゃにゃっにゃにゃー♪と不完全な歌を何曲も披露し踊ります。鼻歌交じりで手遊びをして体をくねらせる息子を見ると楽しさが十分伝わってくるのです。

翌日、私は先生に、息子は歌に合わせて踊ることを楽しんでいるので、踊ることを褒めてやりたいと相談に行きました。先生は「最高のアイデアね、私も素敵なダンスを褒めたいわ」と仰ってくれました。

先日、ROCKETプログラムのトップランナートークで、宇宙飛行士の山崎直子さんがご講演くださいました。東京−大阪間は500km以上なのに、地上からわずか400km上空にある国際宇宙ステーションは、我々地球人の日常と大きく異なるのだそうです。例えば四畳半程の部屋でも広々と6人の大人が寝られるそうです。そこには上も下もなく、6面全てが寝るスペースです。そんな宇宙のリアルは、私たちにとっては想像するしかない世界。地上から上へ上へと目指し、宇宙から地球を見る時も、自分の向きによっては地球が再び頭上にあるように見える。好奇心を駆り立てる話と共に多くの美しい写真も紹介してくださいました。

後半、子ども達からの質問時間が押し迫った頃、一人の高校生が手を挙げました。その男の子は静かに「美しいです」と言いました。時間が押している中、しかも質問ではなく感想です。ともすると場にそぐわないと思われるかもしれないその感想は、シンとした会場を震わせ、私の心に響きました。自分の思いに正直に表現をすることがこれほど素敵なことなのだと、改めて子ども達に向き合う自分の襟を正した瞬間でした。

子どもの特性によっては、みんなと同じ行動をすることが難しい場合があります。だけど、同じにする必要があるのは「行動」ではなく、「楽しむ思い」なのだと子育てをしながら感じます。多数派の邪魔にならない行動を学ばせるのではなく、みんなと共に楽しみたい時に、自分はどう表現して楽しめるのかを学ぶ。それはちょっとずれてて笑っちゃうかもしれないけれど、楽しむ思いは同じです。幸せな笑いに違いありません。

カリフォルニアブルーの眩い大空にパッと広げた3歳の息子の両手を最後に、歌の発表会最終曲が終わりました。あの日、顔いっぱいの笑顔で歌い踊った息子に懸命に拍手を送りながら、ほっとした涙が湧いてきて、この感覚を忘れないように子育てしたいと誓いました。我が子の、楽しむ気持ちを育てたい。

 

赤松裕美

vol.016
学びきらない学び

今年もついに来てしまった誕生日。小学3年の長男から「ママが欲しいものは何?」と聞かれ、久しぶりに欲しいものを考えてみました。

「海が見える場所でカフェオレが飲みたいな」今年はそんなお願いをしました。

息子は、今まで興味がなかった関東の観光雑誌を引っ張り出してパラパラとめくり、あっさりとめくり終えました。どこにも「海の側のカフェオレ」という記事はなく、そもそも関心がなかった息子は一瞬で飽きました。

しかし数日間音沙汰もなく過ごした後、苦し紛れにもう一度その雑誌をめくる息子を見つけ、とても愛おしくなりました。数字の位についてなら延々と話し続け、大人みたいな事を言う息子ですが、今回はどうやら苦戦中です。

ふと、関東の地図上に路線図が描かれた見開きページを息子が眺めていることに気づきました。そのページには陸と海が広がっています。どうやら海沿いの駅に行こうと考えているらしいのです。房総半島から伊豆半島まで息子の指がなぞっていくストライクゾーンは思いの外広く、私は一つだけ条件をつけました。4歳の次男も連れて動くので、電車かバスで片道1時間程度で着く場所にしてね。

しかし、自宅の最寄り駅からなるべく近い海沿いの駅を探しながら、息子はまたもややる気を失い、ゲーム機片手にソファに寝転がります。平然と晩御飯を作りそしらぬふりをしているつもりの私は、知らない間に小さな溜息が溢れてしまいます。駅名と観光スポットしか記載されていないその地図には「カフェオレ」がありません。

何はともあれ、目的駅に行ってみることになりました。スマートフォンのアプリで、到着駅に息子が探した目的駅を打ち込むと、乗り換えまで含んだルートがポンと出てきました。しかし最寄り駅の改札を入った途端、どっちのホームに行くのか分からず立ち止まり調べ始めます。表示された看板から必要な言葉を見つけるのにも、私よりはるかに時間がかかり驚きます。ようやく乗り換え駅で降りたはよいが、今度は「乗り換え」とアプリに表示されていることを実際に行うにはどうすればよいのか悩みます。一つ一つが思うようにはいかず何度も壁際で調べ返しました。

予定以上の時間をかけて息子の目的駅に着いてみると、そこはほのかに潮の香りが漂うオフィス街でした。高層ビルにあるレストラン街を探したけれどあるのは地下から2階まで、それ以上はオフィスになっていてエレベーターに乗ることもできず、上階からどの方向に海があるのかを確認することすらできません。そびえ立つ高層ビルを四方に眺めて、私達は笑い合ってしまいました。

日々ゲームやパソコンに憑りつかれたようになる息子は、パソコン上でのネットサーフィンではさくさく情報が踊ります。だけどそれを一つ一つやってみようと思うと、何とイメージの乏しかったことか。小学3年の息子にはまだどこが乏しかったのかさえ十分理解はできていないと思います。本で見たもの、パソコンで調べたものと何かが違う、どこかがズレている。今はそんな感覚に触れたままにして、今日はただ辿り着けなかったことを嬉しく笑っておきたい。

私は子どもの将来が止めどなく気にかかる。その分だけ我が子に教えたい、諭したい、気づかせたいと目の前の子どもに必死になる。

だけど、一度閉じた雑誌を自分で開く日が来たように、学びきらないままの方が息子の心に引っかかることがあったのです。全く違うことをしながら自分の気づきを咀嚼している時間があることを、忘れてはいけないなと感じる瞬間です。

息子は、また海を目指してリベンジしてみようと言い出すのだろうか?楽しみが続く誕生日プレゼントになりました。

 

赤松裕美

vol.015
空白だらけの漢字ノート

長男が小学3年に進学してからたった2か月弱。急に学校の学習進度が速くなり、単元テストや漢字テストが度重なっているようです。

栄えある第一回目の漢字テストは、ほぼ半数に赤いバツが付いています。覚えていないものもあるが、大半は思わず「おしい!」と言いたくなる漢字です。棒が1本足りない、上部分がない、ハネがない…。小さすぎたり大きすぎたり、字が版画絵のような…。

今日も私は仕事場からの帰路、電車を降り、スーパーで買い物をし、次男の保育園へ迎えに行く。次男を自転車の後ろに乗せて帰宅するまでは何も感じないのに、帰宅して子ども二人を前にする頃から自分の体にどっと重さを感じ始めます。私はイラついているらしい。1分でも早く夜までの作業をこなしていきたいところなのに、長男はのらりくらりです。宿題も時間割り合わせも、入浴も全て面倒くさく、やらなければという感覚もあまりありません。挙句の果てには保育園児の次男と騒ぎ出し、その騒音が私の脳みそを突き刺します。次男の話し声や動き、いつの間にか付いたテレビやゲームというチカチカするような音や映像の刺激に、長男の意識はサーフィンのごとく順に興味を奪われていきます。

私はもっともらしい理由をつけて子ども達を怒りつけ、長男に宿題をするように諭します。そんな中で最近、私はよく立ち止まるようになりました。これは子どものためなのだろうか、私のためなのだろうか。

長男に翌日の漢字テストの勉強をしなさいと言うと、ものの3分程度漢字を見てリビングに戻ってきます。私の感覚では驚愕ものです。

今勉強してきた漢字は何文字あるか言える?と聞くと、20文字だったかな、と答える。じゃあ、その20文字を全部言える?と聞くと、8文字位でトーンダウン。ウロウロしながら残りを絞り出します。次男の見るテレビの前を通っても、目は1点を見つめたままです。結局13文字終了したところで、子どもが漢字ノートを開きます。残り7文字を見て夕食を始めると、漢字の話で盛り上がりました。部首や友達の名前にあった漢字を様々教えてくれます。漢字の話は面白い。友達の名前から次男も知っている子の名前を言い始め、長男はその漢字までも頭に浮かべて字の説明をしてくれます。負けず嫌いの長男は、夕食後に20文字思い出し課題を再挑戦しました。

最初に机で漢字勉強していた時が勉強をするフリをしていた時。20文字を思い出そうとした時や、漢字の話がいくつも出てきた時が頭を使っていた時だよ。その感覚を忘れないで欲しいと長男に言いながら、それは全く私に向けた言葉でした。ノートにきれいな字が並ばなくても、机に向かっていなくてもいい、このワクワクした刺激を楽しみ、興味を広げられる息子でいて欲しい。

私は気を許せばすぐに、子どもと同じ所から未来らしき方向を向いて、勉強をさせよう、社会性を教えようとしたがります。それは子どもにとって有意義なことではなく、私が子どもに望むことに過ぎません。湧いてくる我が子への怒りや不安は、我が子にこうあって欲しいと願う私の欲求が大半を占めます。自分の欲求を前面に押し出す時、私たち親子のリズムはいつも狂っていきます。分かっているのにすぐに陥る私の落とし穴です。仕方がないから、時々こうして自分で立ち止まり振り返るようにしよう。

今日の息子の漢字ノートは空白だらけ。でも、全てが空白じゃない。白いマスが並ぶ中の熟語の欄に5つほど、宿題の漢字を使った熟語が書かれています。その横に付箋を貼った国語辞典と、「筆順事典」というアプリが開いたiPad。思いついた熟語の方に興味が出てそれを調べていたらしい。明日、この宿題ノートを確認する担任の先生は驚愕だろうか。申し訳ないけどそれもまた面白い。担任の先生とも笑い合いながら説明をしなければいけないなと思いつつ、今日も明日のために就寝しようと思います。

 

赤松裕美

vol.014
子どもの力になってやる、ということ

桜が芽吹きそうな平日、ROCKETに参加する中学生数名がROCKETダイニングに集合している所に出くわしました。自分たちにとってROCKETとはどういう意味をもつのかと議論をし、発表をしています。

私はROCKETで保護者を中心に接しているため、保護者が抱える悩みや不安、ご意見を伺うことが大多数です。お母様やお父様から伺う子ども達の様子は、甘えん坊、心配性、忘れ物が多い、人と上手く付き合えない、できないとパニックを起こす、こだわりが強い、空気を読まない…挙げればきりがない程の心配な子どもの様子が届きます。お母様方からは、子どもに任せると何もできないから側で支えてあげないといけない、子どもが傷ついたり周りから勘違いされることがある、迷惑をかけると親子で注意されるという声も少なくありません。

育てにくい子どもの子育てには、保護者の方々のどれだけの悩みがあったことでしょう。周りの子どもが事もなげにやり過ごす他愛ない日常生活に、我が子はどうしてつまずきやこだわりを示すのだろうと不安になられたこともあるかもしれません。小さな生活の一つ一つに悩み、時に我が子が分からなくなったり、時に愛おしく守りたくなったり。ROCKETで子ども達に出会うと、そんな大切に育ててこられた保護者の愛情を、子どもを通して感じることがたくさんあります。

しかし、ダイニングで議論する子ども達は、保護者から伺う子ども像とは少し違っています。

彼らは自分で考え意見を整理しようと納得いくまで時間をかけています。自分なりの方法で意思を伝えたいともがいています。やる気や譲れない思いがある。iPadに意見や画像を入れ、自分の思いを説明します。仲間の意見に敬服する胸の高鳴りを感じる子どももいます。それでも自分の思うようにならないこともあり、そこには葛藤と自分自身に対する責任が子どもの中に存在していました。そしてそのすぐ側には、子どもの議論に耳を傾け、考察力に感動し、そして時に挑発をしかけるROCKETスタッフがいました。

親バカの私は何でも子どもの力になってやりたい、と考えてしまいます。だけど、この日の彼らを見て、あぁ、子どもは己の責任で歩いていくのだと思い知らされます。親から離れた世界で不安を抱えながらも、仲間や信頼する大人と責任をもって関わる時、新たな一歩を自分の力で進むのだとまざまざと見せつけられます。それと同時に、子どもの力になってやること自体が親バカなのではなく、「何でも」の所が肝心だったのだと教えられます。力になる方法、その仕方やタイミングにこそ親が試行錯誤を重ねる余地があるのだと改めて思います。

彼らは責任をもっているからこそ、行動した先の成功に納得がいき、失敗に悔しがり次の策を考える。自分に必要性があるからこそ、テクノロジーや資料を使いこなし更なるアイデアへとつなげる。親に与えられたものには興味がない。とても単純なことでした。

私が我が子にできる方法とは何だろう。我が子を人と比べ、その違いを直したり周囲と揃えようとすることではない。多数の人の意見に合わせることではない。我が子の周りに、そして多くの子ども達の周りに、彼らそれぞれが楽しめる環境をいかに作っていけるか、ということなのではないか。ダイニングの子ども達から大いなる刺激を受け、久しぶりに自分に大きな命題を課してみました。

 

赤松裕美

vol.013
子育ての役割り

仕事で帰宅が遅い主人と息子は、平日ほとんど会う事がありません。一瞬顔を合わせる朝、玄関でパパを見送ることが小学2年の長男の日課です。「行ってらっしゃい、また明日ね〜」と大声で手を振るその「また明日」が怪しく近所に響きます。

休日であっても主人の仕事は折り重なるように終わる事はなく、時間を追いかけるように走り続けていきます。

たまに得られる休みの朝、主人はゆっくり息子と出会うのです。朝起きてからの息子は、パジャマのままソファに座り何をするでもなくごろつきます。テレビを見、マンガを読み、ゲームを探し、しゃきっと活動する訳ではないくせに、何もしないことは耐えられない。興味の惹かれるものに気が付くまで、ただダラダラと過ごすことが多いのです。

そんな息子を横目に見ながら、穏やかな一日を送るはずのパパは次第にイラつき始めます。

早く着替えろ。ダラダラするな。今やるべきことは何だ。時間を無駄に過ごしているともったいない。

それを聞いても左に傾いた体をゆっくり右に傾けるだけの息子を見ると、もうお前には何一つ良いところがない。とまでお説教がエスカレートすることもあります。

企業の中で働いてきた主人の感覚を、我が家の子どもに当てはめたらきっと上手くはいかない。息子の屈託のない優しさが何よりも大好きだという主人だが、息子の先の成長が不安になってつい過激に口走ってしまうのだと、息子を見つめて肩を落とす。

日々の子育ては本当に難しい。だけど視点はいつも今より先を見つめていよう。目の前の子どもの言動だけに左右されないで、無駄かもしれないその時間を待ってやれる覚悟が私たち親にできた時、それは無駄のように見えるだけの本当の息子の時間に変わる。

ゆるやかに子育てしよう。そんな事を夫婦で話した数日後、今度は息子を褒める機会がありました。私に褒められた息子は嬉しくて私にハグをしてきました。主人に褒めらた息子は、恥ずかしそうに頬をゆがめて凛と誇らしげにしたのです。私が知る可愛い可愛い息子とは少し違う様子に、何とも言えないジェラシーです。

 

赤松裕美

vol.012
傘の忘れ物

小学2年の息子は、極寒のこの時期も薄着で下校することがあります。朝着ていった上着を度々忘れ、毎朝違う色の上着を着ていく息子の今日のカラーはオレンジです。

その息子がある登校の朝、玄関を開けて空を見上げました。グレーの雲だなぁとおもむろに傘を取り、いつもの通学路に走っていきました。最近初めて洗濯物を一緒に干してから、時々洗濯干しを頼むことがあります。いつも長らくベランダに居るのは、洗濯物と格闘していたのではなく空を見上げていたのかもしれません。曇を見て雨が降りそうだと傘を持っていく息子を見送りながら、その成長を嬉しく感じます。先の見通しを想像しにくい息子ですが、こうして自分で気づくところから始まるのでしょうか。

ただ、今日の降水確率は10%。この日、息子は傘を忘れて帰宅しました。成長は実に面白い。

数日後、「今日は夕方雨が降るみたいだね」と朝のテレビを見ながら息子と話したはずですが、その朝息子は傘を持っていくのを忘れました。

体調不良で一日家にいた私は、下校時刻に傘を届けるかどうか迷い続けました。その時点で自分の体調のことはすっかり忘れ、3歳の次男も運良く昼寝をし、大急ぎで行けば何とかなると時間の算段もつきました。窓の外に、続々と降ってくる雨もまた、私の背中を押すようです。

息子は上着のフードをかぶってびちょびちょで帰宅してきました。結局、私は息子が一番大好きなフワフワなバスタオルを引っ張り出して玄関で待つことにしました。上着を脱いで大きなタオルでくるんだ息子の顔は、気持ち良さそうににっこりしています。この雨もまた息子の力になってくれるだろうか。私は子どもの気づくチャンスを奪ってはいけない…自分に言い聞かせて学校へ行かない決断をしたのだけれど、息子にとっては雨に濡れる下校もまた楽しかったようです。よく感じるこの親子の温度差に笑いながら、そんな時は自分の母を想い温かくなります。

息子はいつの日か、今日雨に濡れた感覚を思い出すことはあるのだろうか。事前に傘を準備する大切さに気が回る回数は増えるのだろうか。

苦手なことも多い、感じ方も考え方も私とは大きく違う、興味の優劣が大きい、怒られたことも失敗も気持ちよく忘れることができる。私からすると不思議な息子ですが、日常から降り注ぐ、一つ一つは気づかない程に小さなチャンスをたくさん浴びて育って欲しいと思います。

 

赤松裕美

vol.011
子育ての塩加減

年末の忙しい最中に引越しをしました。自分の興味ではなく時間に追われてこなす大仕事の面倒くさいこと。その内に思考回路は止まりそうになり、投げ出したくなります。日々子どもに怒っている自分もまた同じではないかと共感と反省をしました。

小学2年の息子が転校して3日後のある寒い夜、学習机に座った息子は何かぶつぶつ言っています。一点を見つめ真顔で独り言を言う息子に心臓が飛び跳ねました。新しい環境に慣れることがとりわけ苦手だった息子です。私は転校を心配ばかりしていました。何か嫌なことがあったのではないだろうか。仲間外れにされたのかしら?

こっそり耳を澄ますと、「さんいちがさん、さんにがろく、さざんがきゅう…」なんと九九を念じていました。これまで面倒くさいことが嫌いな息子は「九九は覚えない。だって足していけば答えが出るでしょ」と言い張って全く関心を寄せなかったはずなのに、その息子が九九を覚えようとしているのです。

また別の夜は、息子が漢字ドリルの宿題を自らやっていました。これまた私には驚きです。漢字を正しく書くことが苦手な上に、反復学習が嫌いな息子は、これまで宿題の漢字ドリルをまともに提出できた日は数える程です。前校では先生から「やりましょうね!」という思いのこもった付箋が3/4ページほどに貼られていたでしょうか。

転校を機にこんな不思議なことが起こり、ある土曜の午後、息子とお茶を飲みながら話を聞いてみました。

九九は、担任が一人一人10秒ずつ暗唱を聞き、合格したらその段にシールを貼るのだそうです。全ての段の暗唱を合格したら自分のカードにずらっとシールが並ぶことになります。きれいに並べることにはまった息子は、たった2週間で九九を全て覚えました。

漢字ドリルは、前校の市販のドリルと違い、マス目のみのノートの最初のマスに宿題の漢字を先生が子どもの前で書き入れます。それだけで今日やる漢字を確認でき、その書き始めがどこかが分かったのだそうです。

アプローチが変わるとガラッと子どもの行動が変わってしまう。前担任が悪く、現担任が良い訳ではなく、上の2つの方法が今の息子に合っていた、ただそれだけです。私はなるほどと感心しながらも、それを知る必要があるのは母親の私ではないと自分に言い聞かせます。息子が気付き、自分を知っていくことこそが大切だと思うのです。今はそのきっかけを手伝うことが子育ての醍醐味なのだろうと思うのです。

私は、まるで料理を楽しむように子育てを楽しみたい。レシピを参考にしながらも、最後の塩加減や食材の組み合わせは私流。私は自分の子育ての塩加減に敏感に、子ども達が引き立つレシピを生み出したい。だからきっと完璧な子育ての教科書はどこにもない。

息子は私のタルタルソースが大好きです。嫌いな玉ねぎを入れず、ほんのちょっとケッパーとケチャップを隠し味にした、卵たっぷりのタルタルソース。フライと共にそれがテーブルに並ぶと「今日は美味しそうだねっ!」と高いトーンの声が返ってきます。このお子様タルタルソースを卒業する日の息子は、もう少し想像しないでおこう。

引越しに伴って転校先の小学校に依頼された、子どもの家庭学習に関するアンケート。「現在子どもの学習で望むことは何ですか?」という問いに、リアルな体験ですと答えました。九九だって自分が必要なら2週間で覚えてしまう。まだそんなレベルの学習段階だからこそ、その根底にある仕組みにたくさん気が付いて欲しい、そう願わないともったいない気がするのです。

 

赤松裕美

vol.010
サクラ記念日

大学生の頃、私は犬を飼い始めました。名前はサクラコ。シーズーという小型犬種なのに、かなり向こう意気の荒い、甘えん坊な女の子です。その昔、中邑教授をも噛みつこうとした由緒正しき天才犬なのです。

あれから10年ほどして我が家に初めて赤ちゃんが来た日、生まれたばかりの赤ちゃんのにおいを嗅いでから、サクラコは「ワン!」とたった一度だけ先輩風をふかせました。私の腕の中でぎこちなく眠る物体に、興味があり、嫉妬があったのかもしれません。小さく消え入りそうな我が子が心配になり、サクラコを叱りつけた苦い記憶があります。その日から、私の愛犬と、私の長男の絆が始まりました。

息子の成長と共に一緒にいる時間が増え、昼寝も、離乳食も、ハイハイも、初めてのよちよち歩きも、泣いた時も笑った時も、思い返して眺める息子の写真にはいつもサクラコが一緒に写っています。リードを持つ息子の方がサクラにころばされていたのに、ある時から息子がサクラを引っ張るようになり、またある時からサクラコを労わるようになり、長男が6歳の時、息子は生まれて初めてサクラコから「死」を学びました。

私は犬が大好きで、喧嘩をしていても、怒っていても、散歩する犬を見つけたら気が紛れてしまいます。かつて暮らしていたアメリカでは散歩をする犬にたくさん出会い、息子と見つけては喜んでいました。

先日、パソコンのテレビ電話機能を使って息子が英語のレッスンを受けていた時、話題が犬の話になりました。「ドッグ」という単語が聞こえ思わずレッスンに注意が向いた時、息子が先生に「僕、犬はあんまり好きじゃないんだぁ」と返答していました。

え?私は最初意味を聞き間違えたのかと思い、つい息子を5度見。その時間は私の中ではかなりゆっくり流れたけれど、どうやらそれは一瞬だったようで、隣で夫がお腹を抱えて私を笑っていました。私にとっては、にわかには信じられない事態です。今の今まで疑わなかった息子の犬好き。それは、私の歴史と、経験と、気持ちが作り上げた思い込みだったようです。

息子は、「サクラコは今でも一番大好きだよ、でも犬全部が大好きという訳ではない」と言います。7年越しに気が付いた息子の新事実。親は近いようで、これまでの経緯を全て知っているようで、実は何も知らないのかもしれないと、夫につられて自分を大笑いしました。

成長と共に自分の考えがしっかりしてくる息子。親とは違う考え方が少しずつ芽生えている時、すぐには気づいてやれない。私は結構思い込んでいるのだろう。それでも、その変化に気がつく準備をしなくてはいけない。そして、そのタイミングが来たとき、私はまた自分を笑って、事実を少し寂しく感じるのだろう。でも、寂しさは、いつもかけがえのない幸せと背中合わせなのだと改めて感じたサクラ記念日でした。

 

赤松裕美

vol.009
双眼鏡を外して見えた息子の姿

秋晴れの気持ちの良い土曜日、息子のサッカーの試合がありました。近所の公園で毎週末練習を行っている少年サッカークラブに息子が所属して、間もなく1年が経ちます。その日は低学年で編成されたチームによる市大会です。息子の晴れ姿が見られるかもしれないと思うと、大してルールを知らない私でも、大いにワクワクするのです。白熱する試合では、親の応援にもひときわ熱が入ります。

いよいよ、息子の所属するチームが試合をする順番になりました。気持ちも高ぶります。先発メンバーで出場した息子は、転がってきたボールをちょんと蹴り返しました。軽い蹴りでは当然ボールに勢いはなく、あっという間に相手ボールです。その後も攻守が絶え間なく変化する中で戸惑い、そもそも争いが苦手な息子はゆるく相手に迫り、ついに前半終了でベンチ入りとなりました。

ベンチでの後半戦、他の補欠の子ども達が試合をつんのめって観戦する中、息子は地面に両足を投げ出して座り、両手でその足の上に砂を集めてはかけることを繰り返しています。グラウンドの反対側で応援していた夫は、一眼レフを手にしたままもどかしそうです。一方の息子は何とも単調なリズムで砂を集めてはかけての繰り返し。私は我が子の行動に驚きました。そして同時に思わず笑ってしまいました。まさか試合中に砂遊びを始めるなんて想像もできません。しかし、他の選手の子ども達が必死にボールを追いかけ、時に体をはってボールを止め、例え転んでもコーチの激励に痛い足をひきずって再び駆け出していく姿を応援していると、無性に息子に腹が立ってきます。あの子はチームの勝利を望んでいないのだろうか。

試合帰りの車中で聞くと、息子はベンチで何をしたらいいのかがよく分からず退屈になったと言います。そして、ベンチではコーチが「いつまで砂遊びをしているんだ」と息子を叱ったのだそうです。いつまでするのかなと考えながら砂をかけ続けた息子は、結局その後の試合に出ることはありませんでした。もしかすると、コーチに「今すぐ砂遊びをやめて試合を見ろ」と言われていたら、息子は砂をかけ続けることはなかったかもしれません。

それでも、子どもを集団に預ける時、手取り足取り親が出ていって説明できない場面が増えます。周りとの小さなズレが少しずつ溝を深めていく様を感じながらも、預けたからには子どもに任せていかないと、失敗も気づきも自分なりの対処も、いつまでたっても平行線のままかもしれない、と、手を握り締めて見守ることがあります。

息子が自分でやりたいと始めたサッカーですが、実は私はその言葉がいつまでも不思議だったのです。試合から数日経ったある日、練習当番で1日子ども達の練習に参加した日にやっと理解ができました。そこで練習する息子は、先日の試合とはまるで違っていました。スタートと言われた瞬間にドリブルでコーンを抜けていき、速くできたことを喜び、次の準備をし、次々と組まれる練習を笑顔でこなしていきます。自分のボールが決まっていて、短いタームのやるべき練習がはっきりしている。その環境では自分のしたいことが明確です。息子にとっては、試合ではなく練習こそが晴れ舞台でした。

私は、そんな息子の練習姿を見て、知らない間にこんなに成長していくものかと鼻の上がつんっとなり目の前が滲みました。そしてその瞬間に、幸せと反省に包まれるのです。私はたった一日の試合だけで、何を焦り苛立ち怖がっていたのだろうか。たった一日だと思っていたものは、その前後をゆるやかに含み、過去から未来へと長くつながっていく。きっと私は双眼鏡で息子を見ていたに違いない。そんな枠を外して心と両手をめいっぱい広げて息子を見た時にこそ、私が親としてやるべきことが見えてくるのではないだろうか。私は息子の晴れ姿を見間違えてはいけない。

 

赤松裕美

vol.008
見送るちから

夏の終わりの海岸は、人もまばらで、寄せては返す波の音が心地良く聞こえます。蝉の騒々しさから一気に虫の音に変わり、夏休みが終わりました。

物思いにふける暇はなく、決まりごとや時間割に追われる日々が始まったある日の放課後、私は久しぶりに息子に激怒しました。

我が家には、ホスピタリティを意識する時間があります。大人でも子どもでも、我が家に遊びに来てくれた人をもてなし楽しい時間を過ごすこと。私と息子はお客さんが大好きです。どうしたら喜んでくれるだろう、そんな事をわくわく話し、準備を楽しむこともあります。

二学期の開始早々の放課後、息子の友達が我が家に遊びに来ました。二人の興味は共通するものが多く、最近は昆虫とゲームの話が尽きることはありません。おやつを並べてもジュースを置いても、3 歳の弟が喜んで食べるばかりで、二人がそれに気が付くのは遊び時間が終わる頃です。友達の帰宅時間が近づき、私が二人の間に割って入る頃、二人は急にお腹がすき、トイレに行きたくなるのです。

その日友達は、お母さんが迎えに来て一緒に帰りました。帰り際に競争のようにトイレに行っていたので、息子は友達の見送りに遅れたのかと私が玄関からリビングへ戻ると、息子は一人ソファに寝そべり、先ほどまで友達と夢中になっていた3DS のゲームの続きをしていました。

息子を仁王立ちで見下ろしながら、私は見送りに出なかった息子を久々に怒鳴りつけました。たった一瞬の見送りの中に、友達が楽しかったのかを感じ知り、また来て欲しいと伝えられる時間が流れる。

やりたい事があると急に周りが見えなくなる我が子です。好きなことはやらせてあげたい、興味あることに夢中になれることを喜んでやりたい、毎日そう思っているけれど、譲れないことがあります。好きなことを自由に楽しむためにこそ、人には大切にしなければならないことがあると、私は伝えたいのです。そこは断固として譲りたくないのです。

それでも、ひとしきり息子を激しく叱り、話し、ハグをした夜中、私はよく一人ため息をつきます。今日も感情的になってしまったのではないかと不安になります。

息子が発する、ある時は大人じみた言葉と、ある時は信じがたい行動。また、私自身に余裕がある時と、時間に追われ疲れている時。次男が笑っている時と、お漏らしを繰り返し手がかかる時。そんな様々な要素が絡み合い、何があっても笑ってやれる時もあれば、いくら落ち着けと自分に言い聞かせても、その声が自分に届かない程息子に腹が立つ時があります。

そんな時、子育てはこれでいいのかと落ち込むけれど、いくらか時が過ぎれば、すっと気持ちが楽になり、視野が広がる瞬間がまたやってくるから不思議なものです。私の気持ちも、寄せては返す波のようなものかもしれません。大きく子どもを見守れる時と、どうしようもなく悩む時を繰り返しながら、いつか子どもを大海原へ送り出していくのだろう。その先で、子どもが自分の力を頼りに進んでいかねばならないのだとしたら、しっかり送り出してやりたいものです。
呼吸を波の音に合わせていると、がんばり続けて子育てをしなくても、こうして気持ちが行ったり来たりしながらでもいいじゃないかと思えてきます。大事なことさえしっかり伝えていけば、子どもはきっと自分の力で泳いで行くのだろう。息子が覚悟を持って泳ぎ出すその後姿を凛と見送ってやれることができたら、「私の子育ては結構素敵だった」と思えるのかもしれません。

 

赤松裕美

vol.007
囲まない絆 

まさにママにとって過酷な夏休みに入りました。出勤前のお弁当作り、預け先との時間調整、こっそりしておく子どもの鞄の中の鍵の確認。

自由度の高い夏休みは、段取りをわずか1ピースでも間違えると我が身への影響が大きくなります。いつもより神経と体力を使うこの夏の夜、溢れんばかりの洗濯物を前にしても、一日元気に過ごした子ども達を思い浮かべてホッと嬉しくなる瞬間があります。子どもは本当に不思議な存在です。

それに引き換え、我が息子よ。昨夜も宿題の練習問題をせず、何とも穏やかに些細な発見を繰り返しながら夏休みを過ごしております。

そんな長男から、今朝、通勤電車の私に電話がありました。携帯電話と口を手で囲いつつ小声で応答すると、「時間だから出かけようって思ったんだけど、鍵が入っているリュックのファスナーが開かないんだよ。どうやっても無理だよ。」と随分な涙声が聞こえました。

携帯電話に「自宅」という表示を見た瞬間に波打ち始めた心臓をなだめ、つとめてゆっくり話しかけます。「それなら大丈夫。まず、鍵をしないで家を出て、前の桜ちゃんの家へ行こう。桜ちゃんのママに事情を話してファスナーを開けてもらったら、家に戻ってママに電話をしてきてください。」

私は慌てて桜ちゃんママにメッセージを打ちます。次の電話は、すっかり明るい声。今日も元気に出かけて行くようです。私の表情は誰よりも安堵していたのかもしれません。隣の乗客が良かったですね、と優しく微笑んでくれました。

我が家の玄関ドアの内側には4枚の紙が貼られています。ショッキングピンクのその紙の1枚には、「困ったらママに電話する」と書かれています。息子は、困った時、迷った時、嬉しすぎる時、いつもきちんと説明してくれるのですが、ある地点を超えてしまうと全てが分からなくなることがあるらしいのです。涙があふれ、思考が止まり、何かに駆られたようになってしまうらしい。そんな時、ショッキングピンクの小さな小さなメモが息子のお守りになるようです。それを息子と一緒に貼って以降、何かあれば必ず玄関で立ち止まって電話をくれます。このお守りの有効期限がいつまでなのか、まだ私にも分からないけれど、今は素敵な魔法です。私も息子もこのメモがあれば大丈夫。

今日に限らず桜ちゃんには随分お世話になっています。息子と同い年とは思えない小学2年の彼女は、私がいると息子は甘えん坊になるよ、と教えてくれます。確かに、えいやあと手放した時、息子は視野も行動範囲も広げて帰ってきます。そんな時は余計に、子どもを囲って大切に守り続けることが子育てではないのだとつくづく思うのです。我が子を見つめ、知り、話し、信じて、そして絆を作る。その過程でたくさんハグをして、時には厳しくルールを作って守り合う。

今日は息子にとって色んな出来事があり、大興奮の夜でした。興奮しすぎるといつまでも眠れない息子は、真っ暗なベッドの中で日付が変わっても目をギンギン輝かせています。どうしても眠れないのだと何度もmom’s timeに割り込んできます。私は手のひらを全部使って息子の頭と顔をゆっくり撫でます。たった30秒で眠りに落ちる我が子の穏やかな寝顔を見ながら、絆こそが大切なのだと心から思います。私の手のひらの魔法も、有効期限はもう少し先のようです。

 

赤松裕美

vol.006
ゆるやかに子どもを応援する

長男がクワガタをもらってきました。

昨年クワガタを飼育していた頃は、息子はクワガタを触ることもできず、育て方も知らず、ただ父親に言われたことを最低限こなしていました。虫の苦手な私でさえ心配になり、何度も声をかけ手伝ったことを思い出します。

当時、虫取りに興味のあった息子は、お世辞にも熱心に飼育をしたとはいえません。そのクワガタは、昨年の晩秋に2匹とも順に死にました。クワガタが仰向けになったらうつ伏せに戻すということにこだわっていた息子は、クワガタの足が次第に硬直し、うつ伏せの姿勢が保てなくなってくるとパニックを起こしました。

早朝から大声で「どうしたらいいの?」と泣き叫び、家中を歩き回りました。そしてその日、息子はクワガタの死を経験しました。

その後1年間、二度とクワガタは飼わない!と言い続けてきた息子が、クワガタをもらってきたのです。何がどうなってクワガタなのか、訳が分かりません。息子がパニックになるのを私はもう見たくありません。そして私は虫が嫌いなのです。

先日我が家に来たクワガタは、オオクワガタとヒラタクワガタの2種で、それぞれ雌雄で4匹です。なんと、昨年より数が増えました。その上、この2種は越冬する可能性があるといいます。もう支離滅裂です。

私は恐る恐る「エサはどうするの?」と息子に聞いてみました。「どうしたらいいかなー?」とあっさり返ってきます。えっ・・・仕方がありません、こうなると母親の私が考えるしかありません。

「やっぱり、朝は炊きたての白いご飯とお味噌汁が喜ぶんじゃない?小さい器ってあったかな?」

息子は一瞬止まりました。何かが違う。ママでは大変だと。

そして、メモ帳とボールペンを鞄に詰め、クワガタをくれたおじさんの所へ出かけていきました。

土へのこだわり、木を入れる意味、エサ、湿気など色々な情報を仕入れ、息子はちょっとだけクワガタのお父さんの責任感を持って帰宅しました。大きなクワガタを素手で持ち上げながら「スイカはクワガタがおなかを壊すことがあるから勝手に入れないでね」と息子が私に言います。

クワガタが腹痛になる?どうやって腹痛が分かるの?誰が最初にクワガタの腹痛に気が付いたの?

私は虫が嫌いです。だけど、最近クワガタが気になります。

そもそも息子はクワガタが好きなのだろか。飼育する大変さを理解しているとも思えない。でも、いつからかクワガタを触れるようになっている。ある時は全く違うことばかりに興味があるのに、またある時は突然昆虫の図鑑を見たり、丁寧に容器を整えたりする。子どもの行動は本当に不思議です。私からみれば支離滅裂にしか見えない息子の中では、沸々と大小の興味が生まれ、時間がたまにそれらを結び付けていく。

来年か、もっと先か、息子とクワガタの関係はまた変わっていくのでしょう。未来は楽しみです。だからこそどんな時も、いつもゆるやかに子どもを応援したいものです。

 

赤松裕美

vol.005
我が子の成長

ようやく家事の合間をぬってトイレに入ると、すぐに騒々しい声が追いかけてきます。

「ママ~、にぃにが、たたいた~」

「ママ~、にぃにが、ダメって言う~」

ママぁ~~、ママぁ~。3歳の息子は私がトイレに居ようがお構いなしです。ドアを開けそうな勢いで泣きながら、もう何でも言いつけます。

当の小学2年生のにぃには、リビングで罰が悪そうな、腑に落ちないような様子です。いつもの兄弟喧嘩は、よくこうして幕を閉じます。

先日公園から帰宅したにぃにの表情は、いつもと違っていました。はっきり何が違うか分からないまま、何となく頭をなでました。

あれから何日後でしょうか、また公園で遊んでいる息子を迎えに行くと、息子のボールを使って数人の子ども達が遊び、息子はその周りで右往左往しています。貸してと頼まれたら貸してあげる。小さい頃に褒めていた行動だけど、いつまでも通用することばかりではありません。「俺も入れてくれよ」とタイミングよく自分の気持ちを表現して輪に入っていく他の子ども達を見て、私の心は焦り、悲しみ、苛立ち、それでも自分なりに納得をして息子の肩を抱きます。

「そろそろ帰ろうか。」とみんなにバイバイと手を振りました。

それから何日かしたある日、息子がぽつり。あの公園にいた時に砂をかけられたことがあるよ、と言うのです。水もかけられたんだよ、でも少しだったからどちらも当たらなかったんだよ、すごくない?と苦笑いをするのです。私は驚きました。何故教えてくれなかったの?何故今なの?

私にはショッキングなその出来事を、息子は私が思う程気にしていないのか。心配をかけまいとしたのか。それとも息子のプライドなのか…。

とにかく3歳の次男とは全く違う反応に、にぃにの成長を改めて知るのです。足し算や掛け算のように目に見えないけど、ゆっくりだけど、試行錯誤を繰り返しながらだけど、それでも確実に我が子の成長や変化を感じ、次のステップに私も進まなくてはいけないと背中を押されるのです。

一度笑顔を作って、凛と振り返って私は息子に言います。

「次は嫌だったらやめて欲しいと言ってみようよ。言うと伝わることがある。それでも無理なら次を一緒に考えようか。それでもダメなら、実はママ、まだ100くらいは方法があるんだ。」

数字好きの息子は100に惹かれニッコリする。

すぐにでもこの手で守りたい我が子をまずは見守る。私にとっては大きな試練です。だけど100の方法を探しながら、私は少し冷静さを取り戻し、そして「本当に息子に必要なことって何だろう、真の子育てとは何だろう」と、更なるアイデアを模索し始めるのです。

 

赤松裕美

vol.004
息子の交渉記念日

息せき切って息子が学校から帰ってきました。今日はスイミングを休むのだと言い張ります。何事かと心配する私を全く無視して、クラスの大好きな友達に遊ぼうと誘われたのだと。以前、1年ぶりの友達と会うために学校を休んだ経験も後押ししたようです。理由を聞いて安堵と嬉しさで顔がほころぶけど、私は断固首を縦には振れません。今まで学校で会っていた友達と遊ぶために、スイミングは休ませられません!

今日は無理でしょ、と諭すものの、納得がいかない息子は玄関から上がろうとせず泣きわめいて抵抗を試みます。何度も説明して疲れた私は不覚にも「自分でスイミングの先生に交渉できるのなら、勝手にしたらいいんじゃない?」と言ってしまいました。息子は、人前で話すことも意志を伝えることも恥ずかしくて苦手です。まして交渉なんてどうしていいのかパニックだろうと私がほくそ笑むのもつかの間、「わかったぁ、行ってみるねー」とあっさり玄関を飛び出してしまいました。

それから息子が帰宅するまでの時間の長いこと。何度も玄関を開けてそうっと覗いてみるけど、やはりスイミングへ交渉に行ったようです。しばらくして、息子は「別の日に替えてくれたよ」とにっこり帰宅しました。自分がやりたい事となると急に人が変わったように行動力を発揮する我が子に、少々戸惑い、少々頼もしく思うのです。

ただ、7歳の息子には次の計画性がありません。離れた家に住む友達と、待ち合わせの場所と時間を調整して、実際に会って遊ぶことは、限られた時間内では厳しいと気付き、結局その日は諦めることになりました。

途中で失敗したと意気消沈する息子は、何を言っても耳を塞いだままです。

「ママね、自分で交渉に行った行動力にびっくりしちゃった。すごいと思うよ。」私が本心を伝えると、「ほんと?ママ!」と息子は急に満面の笑みになります。だけどね、考えて欲しい事が3つある。私は指を3本立てました。

1、 その行動の次の算段も立ててから動けるようになって欲しい。

2、 その行動が、急にスケジュールを変更するに値するのか、きちんと考えて欲しい。

3、 スイミングで話を聞いてくれた先生に感謝して、お礼を伝えて欲しい。

自分の交渉を認められた息子は、塞いだ耳を空けて、3つのお願いを考え始めました。その後、二人でスイミングの先生にお礼に行き、私はこっそり先生に息子の状況と感謝を伝えました。息子の交渉は唐突でしどろもどろだったそうです。最初びっくりしたというその若い女性の先生は、「また、いつでも話に来てくださいね」と素敵な笑顔で答えてくれました。

私たちは、これからも色んな場面で色んな人に関わってもらいながら成長していくのだと、心の中で深く先生に頭を下げました。親子だけでは喧嘩で終わっていたであろう今日が、息子には少し自信のついた一日になったみたいです。

 

赤松裕美

vol.003
伝えあおう

パソコンのテレビ電話で息子の英語のレッスンが始まります。先生は海外から電話をかけ、日本語は分かりません。そしてこの日の先生は初めて話す人で息子のことはよく分かりません。息子は、初めての人、初めての環境など、初めてがとても苦手です。

この日レッスンで質問されたとき、息子は返答に時間がかかりました。答えの言い方を迷う内に答えるタイミングが分からなくなったようです。もじもじしている間に、先生が単語の説明をしてくれました。しかし、息子はイライラもじもじを繰り返すばかりです。親切な先生は、次の単語も知らないのかな?とまた説明をしてくれます。しかし、息子は余計にイライラもじもじ…。先生は、言葉を変えて詳しく説明してくれて、ついには答えまで教えてくれます。それなのに息子は泣き出す始末です。当然、先生は困り果てたままレッスンが終わりました。

後で聞いてみると、「知っている単語なのに説明されたことが気に入らない!」のだそうです。話すのが恥ずかしそうに見えたけど、実は自分で答えを話したかったのだそうです。

私は息子の前で手を広げました。それを見た息子は側に来てハグをしてくれました。

嬉しいけど違う!違う、違う、違―う!「ママは深呼吸をしていただけなのだ(笑)」ハグじゃなかったの?と息子は恥ずかしそうに言いました。

人には思い込みがある。人は思い込む。英語の先生は思い込みで親切にしてくれただけ。息子も自分の思いが伝わるだろうと、また思い込んでいただけ。だからこそ、思いはちゃんと伝えよう。伝えないと分からないことがある。私は息子とそう話し合いました。

昨夜、2歳の弟が何度も話しかけるのを無視し続ける息子に、ついに私は怒ってしまいました。「無視をしたら相手はどう思うの?悲しいでしょう!」と。

しかし息子はそんな私を驚いて見るのです。無視されても怒ることもないし、悲しくもないよ、また話したらいいんじゃない?と冷静に。

その答えを聞いて、私は思わず大笑いをしてしまいました。息子の感情も有りだし、私の感情も有り。そう、今回は私の思い込み。困ったら、迷ったら、嬉しかったら、お互いに思いを伝えあおう。息子とも、家族とも、周りのみんなともそうやっていけたらいいなと思いました。

 

赤松裕美

vol.002
雨降りのお風呂

2歳はカッパを着て、7歳は傘を広げる。そして長靴を履いたら、二人は暗い雨雲をにっこりと見上げる。私は慌ててお風呂を沸かし、子どもの後を追いかける。こんな日は、時々子どもと雨の公園へ出かける…

7歳の息子は雨粒を見始めると止まりません。空から無数に降ってくる雨粒を傘にあて、地面に流したり、回転させて飛ばしたり。それをただひたすら見ています。ひとしきり満足すると、二人で水たまりをジャンプして、かき混ぜて、川をつくって流してみたりしています。

興奮してはしゃぐ声が白い息になっても、手足が冷え切って思うように動かなくなってもお構いなしです。そろそろ帰ろうか。私の掛け声で帰宅したら、まずお風呂に入ります。お風呂で息子は水の話をたくさんたくさん聞かせてくれるのです。

探求心も、発見も、興味も、好奇心も、観察も、実験も、そんなものは子ども達自ら見つけ出してくるものだと思い知らされます。子どものために、母親の私が何かしてやりたい!とどんなに意気込んでみたところで、子ども自らが考えて行った活動に勝るものはないのですね。そして、例えそれで失敗しても、自ら行った体験なら自分で次の策を考えます。そこに生まれる子どもの責任感や自立心に、親は何とも嬉しいような、寂しいような、複雑な思いですね。

親の私ができること。それは、お風呂を沸かして待っていることなのかもしれません。意気揚々と高ぶった心を、いつも温かく待っていてやること。何かあった時に帰る場所を作っておくこと。

遊び疲れ、学び疲れて冷え切った息子は、温かいお風呂でエネルギーのリチャージです。明日はどうか晴れますように…

 

赤松裕美

vol.001
息子の公園遊び

ROCKETに興味を持っていただいたお母さん、お父さん、関係者の皆様。子ども達はこれから始まるこのプロジェクトで学びながら、自らのロケットや潜水艦に乗って旅を始めていくのだと思います。それなら私たちも、旅に出かけませんか?ロケットとはいきませんが、ただ子どもの行動に寄り添い見つめるだけでなく、私たちママも私達の足で。

私は、息子が3、4歳の頃、いつも一生懸命公園に通いました。息子を、同じ幼稚園のお友達と遊ばせようと思いほぼ皆勤賞ものです。それでもいつも息子はきまって、木陰から友達を見ているばかりです。多くの友達は「わぁーー」と絡み合いながらはしゃいでいます。久しぶりに参加した友達だってすぐに泥んこになって遊んでいます。息子は公園に到着して2時間後くらいからようやく徐々に友達に近づいていきますが、その頃には友達は順に帰宅が始まり解散時刻です。

その日の私は、幼稚園の担任から息子が集団で気持ちを上手くコントロールできていないと言われた直後でした。先生に微妙なニュアンスを伝えられないもどかしさもあり、なんとなく落ち込んでいました。その後行った公園で、いつものように長い間ぼーっと木陰にいる息子にイライラしていたのか、それより自分の子育てにイラついていたのか、公園帰りに運転しながら涙がはらはら落ちました。

その私の後ろから、息子が「まま、きょうも公園楽しかったねー!」と言うのです。耳を疑いましたが、バックミラー越しの息子はキラキラした目をして「またみんなで公園に行こうね!」って。

公園ははしゃぐ所、友達とは側にいて遊ぶもの、一人より友達と一緒がいい。どれもこれも私の勝手な思い込みです。あの時、私は全く息子の友達との楽しみ方を理解できていませんでした。

私たち親は、誰よりも我が子を見つめ、理解したい、子どものためになりたいと願っています。それが時に子どもの大きな力になり、そして悲しいことに大きな邪魔になることさえ起こってしまいます。だからこそ、私たち親には何が必要なのか、しっかり考えながら歩みたいものですね。

我々ROCKETスタッフは、お母さんやお父さんのためにも様々な旅のツアーを企画できたらと思っています。皆さんそれぞれのペースで、学びのツアーや交流のツアーに出かけませんか?

 

赤松裕美

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