ROCKET活動レポート

vol.024
「道」

第3期プログラムのまとめのテーマは「道」。子ども達は「中山道を歩く」というプログラムに参加した。江戸と京都を結ぶ中山道。子どもたちは日本橋を出発し、最終日のセミナー会場である軽井沢を目指して歩き出した。途中には中山道の難所「碓氷峠」が待っている。

碓氷峠を越える日は8時頃には歩き始めた。軽井沢までの道のりは距離にして14kmほどだが1500mの高低差のある山道だ。最寄りの駅から1時間も歩くとひと気も少なくなり、次第に江戸時代と変わらぬ景色の山道となる。その道中は、ユニークな子ども達らしい歩み方だった。

一番目を引いたのは、キャリーケースで山を登る子がいたことだ。 どう考えても山道をキャリーケースで進むのは大変なだけだろうが、本人言わく『これが良い、行けると思うんです』。スタッフから危険について何度も説明したが、本人の希望は変わらなかった。

結局は見事にキャリーケースで碓氷峠を越えた。それどころか先頭を引っ張る時さえあった。

歌うことが好きな子の歌は天然の熊避けとなった。道を外れて植生を調べてなかなか前に進まない子もいれば、江戸時代の人になりきって妄想しながら道を進む子もいる。猿の群れに取り囲まれることもあったが、そんな時は普段からイノシシ狩りで山に入っている子が慣れた感じでみんなを束ねていた。バラバラな個性を持つ子ども達も、うまく互いが組み合わさればここまで良いチームになるのかとさえ思えた。

そんな道のりを10時間近く歩き、ようやく宿泊地の軽井沢駅付近にたどり着いた頃には雨が降っていた。ホテルまであとちょっと。そんな矢先にディレクターが追いかけて来た。

「手違いでホテルが4人分足りない。何とか代わりに宿がとれたけど、とても古く相部屋で、これからまだ30分以上歩かないといけない。誰か行ってくれる人はいないか?」

数分の沈黙の後、別の宿までさらに歩くチームが決まった。

すぐ近くで個室のホテルに泊まる子ども達、かたや、強まる雨の中を更に歩いて相部屋の古い宿を目指す子ども達。

別の宿を選んだ子どもの一人がそれとなく理由をつぶいた。

「仕方ないのだから、それなら偶然な状況を楽しもうとした方が得じゃないですか。」

雨足の強まる中で、子ども顔は冷えた体を温めるお湯と温かな食事がありさえすればそれだけで充分だと言わんばかりの表情だ。しかし辿り着いたのは、なんと軽井沢宿で最も古い伝統ある宿だった。

ハプニングの中、致し方ないとも言える選択をして行き着いた出来事に、子ども達は格別な様子であった。想定外の事態が起こり、見通しの立たない状況に置かれたとしても、視点を変えて自らの『道』を選択しさえすれば、想像を超える出会いや景色に辿り着けるのかもしれない。

そして最終日。子ども達は福島智氏の「自分らしく歩く」という講義を受けた。その言葉は力強く、そして終始シンプルなメッセージだった。

「自分で決定して自分で責任をとる生き方をしなさい」

福島氏は、9歳で失明し18歳で聴力も失った全盲ろうの研究者だ。現在は、東京大学先端科学技術研究センター教授としてバリアフリー研究に取組む。

全盲ろうになった当時、一番しんどかったのは、人とのコミュニケーションがとれなくなったことだったそうだ。その中で指点字という方法を考え、再び人とコミュニケーションができるようになった。その時に、コミュニケーションには人の命を輝かせるために非常に大きな意味があると実感したという。

福島氏は自分の置かれている困難な状況に立ち向かうことを自らの使命として、バリアフリー研究に取り組むことを決めた。その後、盲ろう者としては日本初の大学進学者となり、世界で初めて常勤の大学教員になった。

「前例がなければ、前例になればよい」

一見「できっこない」と言われる状況であっても、自らで決断し、行動し、責任をとる。福島氏は道なき道を歩み、後に続く多くの人の「道」を作り上げてきた。中山道を歩き、福島氏のメッセージに辿り着いた子ども達の表情は明るかった。

vol.023
武田双雲「ストリートからのスタート」

2017年9月のトップランナーは書道家の武田双雲 氏。武田氏はスーパーコンピュータ「京」や世界遺産「平泉」のロゴデザインを手掛けるなど、日本を代表する書道家です。また、他分野のクリエーターとのコラボレーションなども積極的に行い、書道家の枠を超えて活躍しています。

 

「母ちゃんが書道の先生で、小さいときからすごい練習していたから、細かいところまで線が見える子どもだったわけ。」

 

いきなり、高いトーンの早口で武田氏は語り出しました。

 

「学校で、1+1=2と黒板に先生が書いていて、真ん中の2本の線はなんですか?って質問すると、左と右は同じっていう記号だ、って先生は言う。でも、左はこんな直線ばっかりなのに、右は白鳥みたいな形で丸みがある。それなのに、一緒ってどういうことですか?って先生に訊いて、面倒くさがられる子どもだった。先生は答えてくれないから、父ちゃん母ちゃんに訊くと、二人とも『気づかなかった、天才だわ』と言ってるだけで答えてくれない(笑)」

 

会場は爆笑。武田氏の舌は益々回転を速めます。

 

「何事も普通にできないのね。同じことを繰り返すのが自分はダメだから、歯磨きもその日によって、ちょっと小指を立ててみたりね。え?やらない?」

 

「やらない!」「やるー!」

スカラー候補生たちは大きな声で答えます。

 

会社に入ってからも、「この会議に何の意味があるんですか?」と何度も訊いて、「お前、この会社に合わない」と何度も言われたのよ。

 

でもね、僕らみたいに、常識では障害者とか邪魔とか変と言われているような人は、実は一期一会を感じるのが得意なんですよ。なぜなら、普通は常識とかあるし、時間軸の過去と未来がつながっているでしょ。でも、僕みたいな他動的な子はホルモン異常で過去と未来がつながらないみたいです。過去の記憶が吹っ飛ぶようです。だから僕は今でも妻のことが新妻に見えることがある(笑)。

 

スカラー候補生たちはすっかりリラックス。武田氏に向かって、思ったことを口に出して笑っています。武田氏はいたずらっぽい表情を浮かべてスカラー候補生たちに返し、その度に会場は爆笑の渦に。

 

「人間社会は行き詰りました。豊かになったのに、みんな疲れ切って道が見えなくなっている。企業はクリエーターやアイディアマンを求めています。おめでとうございます、やっと僕らの時代がきた。」

 

武田氏はスカラー候補生たちの顔をおおらかな笑顔で見渡しました。

「でもね、自分は変なまま、向こう側の常識と共感・共振・共鳴を起こさないと意味がない。共振できないと、変な人はただのノイズでしかない訳。でも、ギターやピアノみたいに、ちょっと向こうの常識にチューニングできれば、変態が天才になれる。」

 

そして、チューニングのコツをスカラー候補生たちに伝授しました。

 

変なままでいい。自分たちの時代がきた。目の前で生き生きと語る武田氏を見て、スカラー候補生たちの目には自信が宿っているようでした。武田氏のメッセージを胸に、スカラー候補生たちがどのような「道」を切り拓いていくのか、これからが楽しみです。

vol.022
平田オリザ「表現するということ」

2017年2月のトップランナー講義は劇作家、演出家の平田 オリザ 氏による「表現するということ」。平田氏は16歳の時に自転車で世界一周した後、旅行記を出版して作家としてデビュー。大学在学中には『劇団青年団』を結成し、劇作家としての活動を開始します。代表作は世界各国で公演されている『東京ノート』。劇作家、演出家以外にも、劇場経営者、大学教員、日本劇作家協会やNPO法人ワークショップデザイナー推進機構の理事、大阪創造都市市民会議発起人、2009年から鳩山由紀夫内閣で内閣官房参与など、幅広く活躍している平田氏。今日はいったい何を話してくれるのでしょうか。

「演技が上手だと感じる俳優と、下手だと感じる俳優って、何が違うと思う?」

平田氏はスカラーたちに質問をしました。「リアリティーがあること」と一人のスカラーが答えました。「いいね。じゃあ、リアリティーってどんなことだと思う?」平田氏はスカラーの言葉を引き出しながら講義を進めます。

上手い俳優と下手な俳優、その違いは「マイクロスリップ」という無駄な動きにあることを研究の中で導き出したことを平田氏は説明しました。一般に、俳優は練習を積むことで無駄な動きがなくなっていきます。しかし、どんなに練習してもマイクロスリップが適度に残る俳優がいる。そして、これが「上手い」俳優なのだろう、と結論付けられたそうです。興味深いことに、この研究結果は、大阪大学の石黒浩教授との出会いによって「どうやったらアンドロイドが人間に見えるようになるか」という研究に発展しました。これからの社会でアンドロイドが人間と共存する時、人間に「怖い」と思われないようにするにはどうすればいいか?平田氏はマイクロスリップをあえてプログラムに組み込むよう指示し、見事に成功。そ

う、平田氏がアンドロイドを「演出」しているのです。近年大いに発展しているロボット研究と2,500年の歴史をもつ演劇とが結びついた瞬間です。

続いてはゲーム形式のワークショップ。平田氏の質問にスカラー候補生たちは自分たちなりの答えを口にしながら、会場内を右へ左へと移動します。ワークショップを経て、すっかり緊張のほぐれたスカラー候補生達に、平田氏は「僕たちがやっているのは現代アートなのだけれど、現代アートはよくわからない、とよく言われる。わからないってどういうことだと思う?」と問いを投げかけました。

平田氏は一通り、スカラーの意見を聞いたあと、アートのもつ意味合いの変遷という視点から再び説明を始めました。

芸術とは表現するということ。人間はそれぞれの体験を伝えるために、表現をしてきました。そしてまた、単調な暮らしの彩りとしての祭事が芸能、ひいては演劇の起源となった。

近代まで、芸術は情報伝達の為の重要なメディアでした。そのため、作り手はテーマを受け手にきちんと伝えるという大前提がありました。ところが、現代になると他のメディアが発達し、芸術は情報伝達という役割を失うことになった。そのとき、芸術は何を目指したのでしょうか。平田氏はこういいます。

「伝えたいことは何もない。表現したいことは山ほどある」

私たちは社会生活を営むために、潜在意識、つまり闇の部分を抑えて暮らしていますが、それには少しずつ違いがあります。そのほんの少しの精神の振幅を拡大して舞台に乗せることしか演劇の役割はないのだ、と平田氏は言います。

演劇などの作り手は作品を通して「私の中にある世界」、あるいは「私に見えている世界」を表現します。その世界観は強い影響力をもち、そのため、現代アートを見た観客は主体的な意見や感想を持つことが多くなります。つまり正解がないことが現代アートの特徴だからこそ、現代アートは「よくわからない」でいい、と平田氏は語ります。

では、現代アートにはどんな機能があるのでしょうか?平田氏は障がい者アートに関わった経験から気づいたことについても教えてくれました。それは、突出したもの、欠落したものが「あらわ」になって来るのがアートであり、私達が普段の生活では見えていない(見なかったことにしている)ものを表に現して人々に突きつける、それがアートの一番の仕事なのではないか、ということでした。そして、現代アートは都市型ストレスにさらされている現代人に、自分を再確認する作用をもつのではないか、と語りました。

私たちには見えないもの、感じているものを表す「表現」という手段があります。様々な表現手段を使って、言葉では伝えきれない「何か」を伝える努力をすること。それも「人間らしさ」の一つのあらわれなのかもしれません。

人間とは、人間らしいとは何か。それを見つめ続けてきた平田氏の鋭いまなざしに射抜かれ、スカラー候補生たちは何を感じたでしょうか。

vol.021
神原秀夫「ぼくがセロテープを勝手もらえなかった理由」

2017年6月のトップランナーはアートディレクターの神原秀夫 氏。神原氏はプロダクトのみならず、グラフィックやインテリアなど幅広いデザイン領域で活動を展開しています。ニューヨーク近代美術館(The Museum of Modern Art, New York/以下MoMA)の「MoMAデザインコレクション」に選定された消しゴム「カドケシ(コクヨ株式会社)」、異才発掘プロジェクトROCKETや東大先端研の新しいロゴデザインなども神原氏の作品です。

「子どもの頃は分解が大好きでした」と神原氏は語ります。

実家が自動車の整備工場をしていたので、父親の仕事を間近に見て、真似るように電気製品やおもちゃを分解していたそうです。

「小学生低学年のときは手順を考えずに分解して、元に戻せなくて怒られていました。でもついにはバレないように戻せるようになった。分解すると物の作りが分かるようになりました。」と神原氏は笑います。

「それから、子どもの頃、セロハンテープも買ってもらえなかったなぁ」

その理由は、夢中で物を作るうちに、セロハンテープを全部使ってしまうから。家でセロハンテープが禁止になり、さてどうするか。家が整備工場だったので接着剤は沢山ありました。あとは商品の値札のシールをストックしておいて、ここぞという時はそのシールを使っていたそうです。

スカラー候補生から、「物作りの中から、どうしてプロダクトデザインを選んだんですか?」と質問が挙がりました。神原氏は次のように答えました。

実家が自動車の整備工場だったので、昔は車のデザインをやりたかったんですが、あまりにも身近すぎて距離を置いてしまいました。プロダクトを選んだのは、家電が大好きだったのもあるかもですね。

他のスカラー候補生も続きます。

「100年残るデザインは、どうやったら作れるんですか?」

100年後に見て、古いなって思われないことかな。今こういう表現が流行っているのでやろうとすると、何十年後かには古くなる。小手先でデザインしないようにしています。

良いデザインっていうのはなんだろう?一つは、言葉で伝えられるデザイン。もう一つは、普通の人が絵に描けるような、複雑な説明がなくても、ひと目でどういう物なのかが分かるもの。

先端研の新しいロゴには、13号館の時計台をモチーフとしたロゴマークがついています。先端研に来ると、まず13号館が目に入る。つまり、印象に残るんです。 そして、風格もある。さらに、13号館は国の登録有形文化財に指定されているので、恐らく今後壊されることはない。ロゴマークを見て、これは何かと思われることはない。

スカラー候補生は次々と質問を続けます。それらに対して、神原氏は少し間を置きながら、淡々と、簡潔に返答していきます。

そして、神原氏は穏やかに、子どもたちに以下のように語りました。

今、名前のない職業がどんどん増えています。みんなが大人になる頃は、きっともっと増えているんじゃないかな。既存の職業の枠を気にせず、自分で名乗ってしまう位でいいと思います。そのためにも、ぜひ相手を説得する能力を身につけてください。

今回、参加者の1/4程度の子どもたちが、デザインに関連したことがしたい、と手を挙げました。子どもたちはこれから、どのような職業を名乗り、どのような未来をデザインするのでしょうか。セロハンテープを買ってもらえなかったかつての少年から手渡されたメッセージが、スカラーたちの今後のデザインにどのように反映されてくるのか、楽しみです。

vol.020
北海道の大地で炭焼き窯を再生し、最高の炭を作れ!

ROCKETに参加する子どもたちは、Project Based Learning(PBL)でプロジェクトを通して物事の進め方を学び、社会課題や人生の問題に立ち向う態度や方法を考えます。今回は、2016年のPBLの一つ、「北海道の大地で炭焼き窯を再生し、最高の炭を作れ!(略して炭プロジェクト)」をご紹介します。

2016年夏に始まった炭プロジェクト。準備を重ね、実際に炭焼きを習得すべく、スカラー候補生1名とスタッフ2名で、国内屈指の炭焼き名人が住む北海道池田町へ向かった。滞在は2月1日〜10日の予定。

待っていた名人は、小柄で口数の少ない、それでいて現場に出れば丸太を担ぎ上げるようながっちりとした体格を持つ88歳のおじいさんだった。

「炭焼きについて、わからないことは何でも教えてやる」

そんな言葉をもらい、名人の窯へ出かけた。

朝の気温は−20度の日もある極寒で、窯は雪に覆われている。最初に名人に指示されたのは雪かきだった。その後も、掃除に始まり、選木や材の加工、材の窯入れ作業といった、炭焼きに必要な一連の準備に打ち込む毎日。材の窯入れが終われば、いよいよ火入れが待っている。

材の窯入れ作業も終盤に差しかかり、予定されていた滞在日数も残り数日となっていた。しかし、肝心な火入れに移る気配が一向にない。

痺れを切らして名人に話を聞いた。

炭焼きというのは天気と自然を相手にする野良仕事。もともと15-20日かけて作るこだわりの炭焼きを、十数日だけ参加して帰る奴に合わせて作るつもりはないというのだ。炭を焼くからには納得いくものを作る。最高の炭を作るために、材を選定し、窯を整備し、あらゆる準備を行う。それはどんな状況や相手であろうと妥協はしない。

名人は、研修に参加する子どもやスタッフの動揺を尻目に、多くを語らずいつも通り作業の指示を出すのであった。

残された数日、少しでも炭焼きを学び、火入れに近づこうと、研修に参加した全員が名人よりも早く現場に行き、休憩時間ももったいないと作業に打ち込んだ。

帰宅予定日まで残り3日。名人がつぶやいた。

「炭焼きはいつ終わるという世界ではない。それでも残るならば最後まで教えても良い。」

子どももスタッフも名人のもとに残ることを決断した。出来上がった炭を釜から取り出した頃、気づけば1ヶ月近くが過ぎていた。

本物の職人を前にしたとき、弁が立とうと、知識があろうと大して役に立ちはしない。実際に手と足を動かし、汗をかき、労を重ねるだけの気概があるかどうかが問われる。そしてその姿勢は、言葉以上に行動から自然と滲み出てくるものだと名人は話してくれた。

職人の世界は、技を磨くには必ず時間や手間が必要だ。”これだけやったから良い” というものでもない。それを熟知する匠だからこそ、はじめから ”出来ないなりにどう取り組むのか” を試していたに違いない。

「山登りでいえば、自分はまだ6合目くらいだ」と名人は言う。

納得いくものを作るため、目の前の作品に魂を込め、昨日よりも少しでも先に進もうと挑戦を続ける。名人の姿勢と哲学から学ぶことは多い。”自分にはこれしかない” と一つのことを極めるとはどういうことか、参加した子どももスタッフも、確かに肌で感じとっていた。

 

【丸山 拓人】

異才発掘プロジェクトROCKETコーディネーター

vol.019
好きなことで仕事をつくる -ROCKET第3期の挑戦-

2016年12月19日。平日の昼間から、東京大学大講堂(安田講堂)の前に沢山の子どもと大人の列が出来ました。その数、約500名。

この日に安田講堂で開催されたのは、ROCKET第3期オープニングセレモニーと、「好きなことで働く」と題した公開セミナー。しかも公開セミナーの内容には、全世界で売上1億本を突破し、子どもたちに爆発的な人気のあるゲームソフト、「マインクラフト」の文字。会場には全国からROCKETに新しく選抜された31名の第3期スカラー候補生と、1・2期生有志のほか、我こそはマインクラフトに自信ありといった顔の子どもたちが集いました。

オープニングセレモニーの幕開けを飾ったのは、第2期スカラー候補生が制作したムービー。オペラ演出家の佐藤美晴さん(ROCKETアドバイザリー)の演出で、暗くなった講堂内がたちまち宇宙をイメージさせる空間に変わりました。そこに宇宙飛行士姿の中邑賢龍ディレクターが登場し、いつも通りの「よう!」の一声。

壇上で紹介された3期生も、その興味関心はミュージカル、狩猟、鉱物、数学など負けず劣らずバラエティ豊かで、ユニークな子ども達が集まりました。

こうしたユニークな子ども達と、新しい学びに挑戦してきたROCKET。

好きなことから独自に学び続けるスカラー候補生の姿。

さあ、次の話をしよう。会場の期待は高まります。

新しい学びの先に、好きなことで働く未来はあるのか?

ROCKET第3期では、新しくオープンSIG(Special Interest Group)を立て、ゲームのマインクラフト(マイクラ)を使ってリアルな文化財を再生するプロジェクトを開始しました。今回の公開セミナーはその旗揚げであり、「ゲームに依存している」とネガティブに捉えられがちな子ども達を「マイクラ職人」として募集し、仕事としてプロジェクトに参加することでその能力を存分に発揮してもらうことにしました。

ROCKETの拠点である東大先端研では、関東大震災後に設計されたスクラッチレンガ貼りの歴史的建造物群が、今もなお研究棟として使用されています。しかし、特殊な機器や大きな実験設備を必要とする研究室としては敬遠され、メンテナンスの行き届かない箇所も沢山あります。ROCKETではそのリアルな建造物群を学びの場として活用しつつ、バーチャルなマイクラの世界に完全再現してみることにしました。そのためにはすぐれた「マイクラ職人」達の力が必要なのです。

「マイクラ職人」たるもの、実際の建築を再生するリアリティをもつことも必要です。そこで公開セミナーのゲストに、今回の会場である安田講堂の全面改修工事の建築設計を担当された建築家、千葉学 東京大学副学長をお迎えしました。千葉副学長からは、貴重な写真や図面を見せて頂きながら、「先人達の想いを受け継ぎながら建築をつくる」ことについてお話いただきました。

最後に、会場を巻き込んで「好きなことで働く」というのはどういうことなのか議論するなかで、会場のスカラー候補生から千葉副学長へ質問が投げかけられました。

「先人達が築いたものの改修に、自分の創作や意志が入る余地はありますか?」

千葉副学長は、「モノクロ写真や設計者のメモ書き等から改修方法を導き出すのは大変な作業。しかし、どのような改修にするかを決定する時点で、自分の意志が入り、創作がはじまっています。そこをきっぱりと分けることはできませんね」。

バーチャルな世界でものづくりをする子ども達にとって、リアルな歴史的建造物群を忠実に再現することは少し不自由に感じるかもしれません。文化財再生プロジェクトのミッションは、東大先端研の地上、地下、歴史や都市伝説的エピソードまでの全てをマイクラの世界に完全再現すること。しかし、この終わりがなさそうなリアルの追求と、バーチャルで活躍する「マイクラ職人」の能力をかけ合わせたところから、誰も見たことがないような創作がはじまるような気がしています。好きなことで働く未来は、その先に切り開けるものなのかもしれません。

田口 純子

オープニングセレモニーの様子は下記のURLよりご覧になれます。

vol.018
池内恵「イスラーム世界からみた世界」

2016年7月のトップランナー講義は宇宙飛行士の山崎直子 氏とイスラム政治思想を専門とする東京大学准教授の池内恵 氏。今回はvol.021でご紹介できなかった池内氏の講義の様子をご紹介します。

池内氏は、中東へ赴いてイスラム教徒との対話を重ねてきた経験について語りました。そして、「規範」という点からイスラム教について説明を始めました。

国の法律、学校の校則、自発的に入っているサークルのルール。全部規範なんだけど、その規範のもつ強制力や、誰が決めるか、どれだけ普遍的かは異なります。イスラム教では人類全体に適用されるべきものとして、規範が決められている。日本の宗教はサークル的なもので、信じたいときは信じます、という一つの考え方ですね。ところがイスラム教はそうではない。人間の側が選んだり捨てたりするものではない。アッラーという唯一の神が預言者を通じて上から規範を下します。そして、その規範は明確に文字で書かれて本になっています。人間はその本をちゃんと読んで、規範を守って生きていかなきゃいけない、というのが宗教です。日本で考えられている宗教とは大きく違います。

スカラー候補生たちは静かに耳を傾けています。池内氏は説明を続けます。

イスラム教の考えでは、宗教には預言者がいないとだめなんですね。預言者というのは言葉をアッラーから預かってきた人、ということ。神がいて、預言者がいて、人類がいます。歴代預言者は何人かいますが、一番最後に出てきた一番ちゃんとした預言者がムハンマドというんですね。そしてイスラム教徒は、人類はその言葉を既に信じている人とまだ信じていない人で分かれる、という風に人類を認識するようになります。

しかし、グローバル化により、イスラム教徒と他の価値観をもつ人たちが混ざり合うことになりました。イスラム教は特に、全人類に適用されるルールだと考えていますが、現実の世の中はもっと多様ですね。過去100年、200年の間にヨーロッパやアメリカから広まっていった人権などの考え方や、お互いの規範の間には優劣はないはずですよね、という考えとぶつかり合う。そこで摩擦が生じる。イスラム諸国のイスラム教徒はそういった考え方を受け入れています。しかし同時に、そういった考え方はイスラム教と合わない、という人が出てきている。それで対立が生じる。そこでイスラム諸国の混乱がある。

さあ、質疑応答の時間。それまで静かに講義を聞いていたスカラー候補生たちが一斉に手を挙げます。

「僕は神道で、神道の考え方では僕も神になるのですが、もし、私は神だから教典を書ける立場にある、と言ったら、イスラム教の人はどう考えるんですか?」

池内氏は少し笑いながら返答します。

「イスラム教徒の場合は、大部分の人が、論理的に考えて人間が神ではないと考えるので、あなたは人間か神のどっちであるかを相手は考えますよね。その場合、大抵の場合、あなたを神だと認識しないので、その場合、人間が間違って自分は神だと考えているなぁと認識するということだと思いますね。」

次のスカラー候補生が質問します。

「もしコーランよりも正しいものが出てきました、という人が現れたらどう考えるんですか?」

「これは面白いところですね。イスラム教では規範があるとか規範が言葉で示されているというお話をしましたね。そしてさらに人間は言語の論理に支配されるんですよ。イスラム教では『最後の預言者』とコーランに書かれているので、二度と預言者は出てこないんです。コーランが最後の啓示と考えるから、ある人が持ってきた新しい啓示や啓典などは、議論の余地なく間違っている、と考えるんですね。

でもそれが結局、宗教っていうものが人々を安心させるんですね。これ以上ルールが変わることはないから、このルールを守って生きていけば幸せになれる、と。」

「ちょっとコーランのことを調べたことがあるんですが」と一人のスカラー候補生が手を挙げました。

「コーランには、税を払えばほかの一神教の宗教でもイスラム共同体で生きていける、という記述がありますが、今のイスラム過激派はキリスト教徒やユダヤ教徒を迫害しています。これはコーランの言葉に反しているのですが、彼らはどう思っているのでしょうか?」

池内氏は「税を払えば生きていけるという考え方はね、いや、あるんですけどもね」と言って回答を続けました。

「自分たちと序列をつけて、他の宗教がイスラム教の下で支配されているなら、という話なんですよ。他の宗教とお互いに平等にっていう結論につながらないんですね。過激派の人たちもほかの宗教を否定してはいないと思うんですよね。彼らがキリスト教徒やユダヤ教徒やそれ以外の宗教の人たちを迫害する理由は、序列をしっかりしないといけないと考えるからなんです。序列がない状態ではむしろ戦わなきゃいけない、という考え方が正しくなってしまう。実は(コーランの言葉と)矛盾はしていないんですよ。

かつては、地域によっては正しい宗教とそれほど正しくない宗教っていう序列がある中で生きていかざるを得なかった訳ですね。人間を宗教で差別してはいけない、という考え方は最近の考え方なんですよ。その考え方に変わってから100年以上時間が経っていますけど。

今、イスラム教を信じる人の中で、非常に葛藤があるんでしょうね。イスラム教の論理を信じていると、ある一面で安心があるんです。論理的に絶対に正しいことを信じているように見えるんですね。ただ、同時に、それを信じていない人もいるという現実と矛盾してしまうんですよ。人によっては両立させられなくなるんですね。多分それは理屈を通しすぎることが問題なんですけども。矛盾を解消すべきだと、複数の価値観と共生する方向ではなく、一つの価値観を強制しようとする。強制しても実際には他の価値観はなくならないんですけども、なくなるように見える。そういう強制的な解決策を示す人たちがいるんですね。」

講義終了の時間を過ぎても質疑応答は終わらず、講義時間を大幅に延長することになりました。そして、質問の挙手は止まないまま、講義の終了を迎えました。

では、どうすればいいのか?

そこに明快な回答はありませんでした。その回答は、スカラー候補生たちが経験を積み、知識を深めていく中で、一人一人が紡ぎだしていくものなのでしょう。

vol.017
山崎直子 「宇宙飛行士になる勉強法」

2016年7月のトップランナー講義は宇宙飛行士の山崎直子 氏とイスラム政治思想を専門とする東京大学准教授の池内恵 氏。今回は宇宙飛行士の山崎氏の講義の様子をご紹介します。

山崎氏は2010年4月に国際宇宙ステーション ソユーズで15日間の滞在を終えて帰還されました。山崎氏は「ROCKETというプロジェクト名を聞いて、絶対に行かなきゃ!と思ってきました」と笑顔で語り始めました。

山崎氏は元々、JAXAのエンジニア。宇宙飛行士の試験に挑戦し、2回目の挑戦で訓練生に選抜されました。しかしその後、宇宙へ飛び立つまではトントン拍子にはいかなかったそうです。訓練に入るまで1年待ち、妊娠・出産・育児で中断。復帰後、訓練再開をしようというタイミングで、2003年、スペースシャトルが事故を起こしました。一緒に訓練していた人が乗っていたため、大きな悲しみを味わい、スペースシャトルもいつ飛べるかわからなくなってしまいました。

「目隠しをしながらマラソンをしている感じでした」

山崎氏は当時を振り返ります。

それでも、いつかは宇宙に行けるといいな、と考えながら訓練を続けて、11年目。ようやく宇宙へ行けることになりました。「下積みは長かったけど、飛んでしまえばあっという間でした」と山崎氏は爽快な笑顔を見せます。

国際宇宙ステーションは飛行機の高さのだいたい40倍の位置にあるそうです。距離にすれば地球から400km。東京ー大阪間よりも近くにあります。山崎氏は宇宙へ行った時の印象をこう語りました。

無重力は楽しいですよ。ちょっと懐かしい感じがしました。そういえば、(地球という星に生命が生まれたように)私たちも元は宇宙からできているんですよね。宇宙へは冒険で行くようなイメージがあったんですが、故郷を訪ねていくような感じなのかな。

そして、国際宇宙ステーションでの暮らしについて説明されました。

宇宙ステーションは90分で地球を一周するため、1日に16回、日の出を見ること。夜は地球が真っ暗で見えないのに、光で日本列島がわかること。オーロラが地軸上で丸く見えること、等。山崎氏は台風の目が海上を実際に動く姿を見て、「地球そのものが生きているんだなぁという感じがしました」と語りました。

「未知のところがいいとかあると思いますが、それ以外に宇宙の良さってありますか?」

スカラー候補生が質問しました。山崎氏はこう答えます。

価値観がガラっと変わりますね。宇宙は上も下もない世界です。狭い机でも一人が上で作業して、一人が裏面で作業ができる。四畳半のスペースで7人が寝るのにも、壁や天井などが使えるので狭さは感じない。ものの見方が変わってきますよね。地球に戻ってくると、今度は重力が重いので、おぼつかない足取りで外に出るんだけど、風が吹いてきたり、草や木の香りが漂ってきたりする。それがすごくいいな、愛おしいな、と思います。今まで当たり前だと思って気づけなかったことに気づけるんじゃないかと思います。

1951年にガガーリンが最初に宇宙に旅立ってから、既に約560人が宇宙へ。しかし、1年間に約10人の割合はこの55年で変わらないそうです。

「今は宇宙船を飛ばすのにすごくお金がかかるので、人数を絞らざるをえませんが、今後、もっとたくさんの人が宇宙へ行くようになればと思っています。宇宙へ行く人の割合を変えるのは、民間のロケットであったり、宇宙旅行なんじゃないかな。」

山崎氏は続けます。

「宇宙では歩かないで済むから、車椅子でも関係ありません。重力に逆らって血液をポンプで運ぶ必要がないから、心臓が弱い人も宇宙へ行ってしまえばより快適に過ごせます。もっといろんな人が宇宙へ行くことで、いろんな文化や文明が成熟するんじゃないかという気がしています。」

現在の技術では、火星までは半年かかってしまいますが、月までは3日で到着し、1週間で往復できるそうです。いずれ、月旅行までは行けるんじゃないか、と山崎氏は考えていることを話し、「あと10年、20年したら、丸い地球を宇宙から眺める人も出てくるのかな」と笑顔を見せました。

「今、求められている最先端の研究とか、こうなったらいいな、っていうのはありますか?」スカラー候補生が質問しました。山崎氏は返答します。

ワープの研究っていうと、ふざけたような感じがしますが、それを大の大人が朝昼晩、一生懸命研究しているんですよね。それをちゃんとNASAがサポートしているんですよ。NASA以外にも色々な大学とか研究機関とかと協力して、一緒にもっと面白い研究をしているところがたくさんある。

すぐに結果が出なくても、それがなんらかのことでつながることって絶対出てくるんじゃないかな。昔ね、渡り鳥の研究をしている人がいたんです。何十年も渡り鳥のことなんかやって、って周りからはけっこうバカにされていたんです。でも、ある時ね、SARSという病気が広まって、そのときに渡り鳥の研究が役に立ったんですよね。あの人がやっていたことが実は大切だった、ってことがあるから、いろんな人がいろんな観点から研究できるってすごく大切だと思う。

続けざまにスカラー候補生が手を挙げます。「これだけは実現させたいってことはありますか?」

「やっぱり宇宙エレベーターとか、宇宙へ行く新しい手段ですね。今のロケットだと打ち上げ費用が高すぎますし、限界があるので。宇宙エレベーターとかレールカーとか、どういう形かわからないけど、もっと日本の人が体に優しい形で宇宙に行けるように、それは実現させたいな、と思いました。」

講義時間が終了に近づいても、スカラー候補生たちの質問はなかなか止まりませんでした。山崎氏の語る宇宙や時間軸、考え方から、スカラー候補生たちは興奮や驚き、安らぎなど、それぞれに刺激を受け取ったことでしょう。

JAXAの前身である東大先端研から子どもたちを飛び立たせる。ROCKETのミッションはこれからも続きます。

vol.016
江崎弘樹 「切ることと仕上げることの違い」

今回の講義室はいつもと違う雰囲気です。真ん中に回転椅子があり、その周りをスカラー候補生たちが取り囲んでいます。

2016年5月のトップランナー講義はインタラクションヘアデザインの江崎弘樹 氏。江崎氏はロンドン ヴィダルサスーンのクリエイティブディレクター(技術責任者)としてファッションショーやセミナーなど世界中の美容業界で活躍された経歴を持っています。

江崎氏は「僕の仕事は美容師です。簡単に言うと、人を喜ばせる、幸せにする仕事です」と自己紹介をしました。そして、「ヴィダルサスーンという人のスタイルに憧れてロンドンへ行きました。とにかく勉強が嫌いだったから、最初は英語も話せなかったんですけど、どうにか12年間、イギリスのサロンでディレクターをしました。」

そして、江崎氏はスライドを見せながらヘアカットの技術について話し始めました。しかし程なく「こんなん話していても面白くないので、とりあえず切りましょう」と笑って中央の回転椅子へ移動しました。

そこへ、ROCKETのプロジェクトリーダーの福本さんがヘアモデルとなって登場。ちなみに福本さんはロングヘア。10年間、短く切っていないそうです。

江崎氏は福本さんをパッと見て、手を福本さんの頭のてっぺんに置き、スカラー候補生の方を向いて話し始めました。

ヘアカットでは骨格・髪質・毛量・毛流を見て、丸・三角・四角というデザインの要素を当てはめて、形をデザインします。まず、頭の骨格の形を考えます。色んな顔があるように、骨格も人それぞれなんですよね。それから、髪質、毛量、毛流を見ます。福本さんは頭のてっぺんが少し平らですね。こうやって、骨格や髪をしっかり見て、似合う長さっていうのを考えます。

そしてスプレーで髪を湿らせながら、髪を切り始めました。

「なんで湿らすんですか?」「いい質問だねー」

江崎氏とスカラー候補生の間には自然に対話が生まれます。江崎氏はスカラー候補生とお喋りしながら、折々でハサミの使い方や髪を切るときのポイントについて説明します。

「僕も切ってもらえばかっこよくなるかなぁ。僕、世界で2番目にかっこ悪いから…」

江崎氏の物腰の柔らかさがスカラー候補生たちを素直にさせるのでしょうか、スカラー候補生からはこんな呟きも。江崎氏は「かっこよくなるよー、元々がかっこいいから、もっと自信をもつといいよ」と笑顔で答えます。

「どうしてそんなに自信があるんですか?」スカラー候補生が質問をしました。

それはね、練習したからだと思う。こうやって人前で髪切るってさ、ほんとに自信がなかったよ。だけど、いっぱい練習することと経験を積んだことによって、自信が出たのかな。僕はこういうことを24年間やっています。でもまだまだです。色んな発見があって、今も練習しています。やっぱり続けることっていうのが僕の財産かな。

対話を続けているうちに、福本さんの横顔は顎に沿って三角のラインに縁取られ、後頭部はきれいな丸みのショートボブに。そして、ヘアブローへと誘われていきました。

次に登場したのは中邑ディレクター。「30年間同じ髪型できたんですが」と言いながら回転椅子に腰掛けました。

スカラー候補生たちはざわめき立ち、「白髪がいっぱいだね、おじいちゃんみたい!」など、ここぞとばかりに中邑ディレクターをいじります。中邑ディレクターは、おいおい、と笑顔で応戦。

それを笑顔で眺めていた江崎氏が、「じゃあ、男らしくかっこよく、四角い形を作ろうと思います」と言って、中邑ディレクターの骨格や髪の毛を確認。

「メガネをかけるところも考えながら切るんですか?」

「ありますね。いつもメガネがかかっている所がはねたりしないように、とか、全体のことを考えないとね。僕たちの仕事は白いキャンバスに絵を描くことじゃないんですよね。その環境に合わせたデザインをする仕事」

そして髪の毛を切りながら、語り始めました。

ヴィダルサスーンという人が何をしたかって言うと、美容室に行く意味を変えたんですよね。それまでは女性はサザエさんみたいなヘアスタイルが多かったんです。美容室でカーラーを巻いて髪をセットして。だからヘアカットというのが重要じゃなかったんですよね。だけど、戦後、女性が社会に出るようになって、ヴィダルはもっと機能的な髪型ができないか、と考えたんです。その中で、バウハウスに影響を受けて、その時代の建築の理論をヘアスタイルにも応用させたんです。

スカラー候補生が「実用と特性か」と、以前、建築家の六角鬼丈氏から教わったことを呟きました。ヘアデザインと建築。一見異なる知識が、繋がっていきます。

そのうち、江崎氏は言葉少なになり、真剣な表情で髪の毛と向き合い出しました。その様子をスカラー候補生たちはタブレットPCで写真を撮ったり、絵を描いたり、ひたすら眺めたり、それぞれのスタイルで見入っています。そして、中邑ディレクターのヘアカットは完成。これで終了か、と思いきや、江崎氏は「まだだよ」と言って、ブローを終えた福本さんを中央の椅子へ座らせました。

そして、強い光を宿した目で、様々な角度からハサミを細かく動かし、髪の毛のラインを整えていきます。髪を揺らし、ラインを確認しながらハサミを入れる、という行為を何度も何度も繰り返します。その気迫に圧倒されたのか、スカラー候補生たちも無言になり、どんどんシャープになっていくラインを真剣に眺めています。

江崎氏のハサミの動きが止まりました。さあ、今度こそ完成か、と皆が一息ついたところで、江崎氏は「じゃあ、立ってください」と福本さんを立たせ、またハサミを入れ出しました。「体のバランスがすごく大事」。骨格をしっかり見ることの重要性を説明したときの江崎氏の言葉が蘇ります。

「はい、できあがり」。江崎氏が柔らかい笑顔に戻り、福本さんと共にみんなの方を向きました。なんと、福本さんの前髪は左上から右下に向かって斜めに切られています!「骨格に合ってたら、非対称でも面白いでしょ?逆に好きなところを伸ばすと、その人にとても似合うんです。」

そして、みんなの前に中邑ディレクターと福本さんが並びました。二人とも、髪を切る前とは別人のよう。スカラー候補生たちは興奮気味に写真を撮ったり、描いたデッサンを二人に見せたりしています。

スカラー候補生からは、「最初の技術はそれなりに、はぁはぁ、という感じだったんですけど、最後の三角のところとか、こまかーく切っているのを見て、一本一本(切っている)という感じで、あれは愛というか熱が伝わってきた。」という感想が。

これが「仕上げ」。スカラー候補生たちは、仕上げの姿勢や大切さを、江崎氏の仕事から身を以て学んだのではないでしょうか。

vol.016
出雲充「 僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。」

2016年4月12日のトップランナー講義は、出雲 充 氏の「ミドリムシが地球を救う」。出雲氏はミドリムシの屋外大量培養技術を世界で初めて確立した東大発のバイオベンチャー、株式会社ユーグレナの代表取締役社長です。

ミドリムシ(学名:ユーグレナ)は0.05mmの藻の一種。ミドリムシは植物としては海藻の仲間ですが、動物性のタンパク質も入っているため、植物と動物の特徴を併せもっています。また、人間が生活する上で必要な50種類を超える栄養素を生み出すことができるそうなのです。光合成により二酸化炭素を吸収し、しかも「バイオ燃料」のもとになる油脂を取り出すこともできます。

出雲氏はミドリムシについて説明した後、ミドリムシとの出合いについて話し始めました。

「僕は大学一年生の夏休みにこの国旗の国に行きました。どこだと思う?」

何人ものスカラー候補生が口々に「バングラデシュ!」と答えます。

「そう、いきなり正解だね(笑)。バングラデシュは世界で貧しい国の一つだから、ご飯が食べられない人たちが多いんだろうな、と考えていた。でも実際は食べ物はあった。10円で日本の3倍くらいの量の豆のカレーを食べている。それなのに、多くの人が栄養失調になっている」

出雲氏はバングラデシュの子どもの写真を見せながら、「栄養失調では、足が非常に細くなって、おなかが非常にふくらんで出っ張る。なんでだと思う?」とスカラー候補生に質問しました。

スカラー候補生たちからは「筋肉ができないから」「おなかも腹筋ができなくて、その結果、内臓が支えられずにおなかが出ちゃう」などと回答が出てきました。

出雲氏は「これまで同じことを何万人もの人に話してきて、腹筋の話が出たのは初めてだね」と驚きながら、その理由について説明をしました。そして、こう続けました。

「足りないのは栄養素じゃないか、と気づいた。すごく小さくて、できるだけ多くの栄養素が入っている、栄養素が豊富な食べ物を作れば、栄養失調の問題をなくすことができる。そういうものを探しているときの、大学三年生のときにミドリムシに出合った。それからは人生、ミドリムシ一色になった。」

そして、出雲氏は2000年にミドリムシの研究を始め、2005年、仲間と3人で、ミドリムシを広めるための会社を作りました。

「ミドリムシはけっこういいところがあるわけ。栄養価が高く、二酸化炭素は減って、バイオ燃料を作れるし。でも、10年前は誰も話を聞いてくれなかった。一番大変だったのは、2年間で500社に今と同じ説明をしたけど、一人も買ってくれなかったこと。成功した事例がない、と言われた。500社に言っても使ってもらえないってことは、やっぱりミドリムシはダメなのかな、と悩んでいた。そういうとき、みんなならどうする?」

「自分で試してみる」「友達からゆっくり広めてみる」「無料にする」「その人の目の前で一回証明してみる」「有名な人に直接お願いしてテレビに出す」…次々とスカラー候補生からアイデアが出てきます。それでも、出雲氏は質問をやめません。「どうする?」

そのうち、スカラー候補生からは「尾つけて語っちゃう」「ミドリムシが入っていませんよ、といって飲ませる」などの意見も出てきて、出雲氏は「だんだんせこくなってきたなぁ」と笑いました。そこに、「相手の好きなことと関連付けて、わかってもらう」とスカラー候補生が言いました。

出雲氏は、「素晴らしいね」と言って、質問をやめました。

「今の僕だったら、相手との共通点を探してみると思う。でも当時の僕はできなかった。それでも、ミドリムシのことを諦めきれなかった。ミドリムシをいいと言ってくれる人に会うまで頑張ってみよう、と思った。そして2008年5月に、501社目で、やっと一緒に頑張りましょう、という会社に出合った」

「500社に認められなくて、ダメだと思うことはなかったんですか?」スカラー候補生が真剣な表情で訊きました。

「毎日ダメだ、と思っていたよ。どうしたらミドリムシの良さが伝わるか、と毎日悩んでいました。でもね、一回寝て、次の日朝起きたら、リセット!」

会場は笑いの渦に。

「本人にとっては、100回やってダメだった、とかクヨクヨするかもしれないけど、そんなのね、他の人や地球全体の話題としたら、全然大した話題じゃないわけ。寝て起きたら、次の日からもう一回ゼロの気持ちで、ぜひご自身の夢を追いかけてほしいと思います」

そして出雲氏は、スカラー候補生を見渡しながらこう言いました。

私がみなさんくらいのときには、これをやりたいというテーマは特にありませんでした。でも、大学生のときにミドリムシとの出合いがあった。みなさんも、今はなくても、これを使って他の人にびっくりしてほしい、喜んでほしい、楽しんでほしい、というものが絶対に見つかります。そのときに、一つだけ思い出してほしいなぁ。

自分の仕事として「これがいい」と思ったものを広めるためには、お金持ちか貧乏かはなんの関係もないのね。一番大事なのは、適切な科学技術と試行回数。同じことを何回も繰り返し勉強して、練習して、研究する力なの。

1回やったらうまくいく可能性が1%、失敗する可能性が99%のものは、459回やれば成功する可能性が99%になる。ほとんどの人は459回も繰り返さない。繰り返さずに、周りが間違っているといろんな人が言いますよ。でも、素晴らしい結果を残す人たちはすべからくみんな、大変な努力をしている。

今、バングラデシュの小学校で、約6,000人の子どもたちが毎日ミドリムシの給食を食べています。この子どもたちが全員、栄養失調がなくなって、元気に一生懸命勉強するようになったら、バングラデシュで一番成績の優秀な小学校になるんじゃないかな。その子たちが大人になってどんな活躍をしてくれるのか、本当に楽しみです。そして、将来はミドリムシの給食をバングラデシュの子どもたち全員に広めていきましょう、とバングラデシュの首相と約束をしました。

ミドリムシで飛行機の燃料を作る、バングラデシュの子どもたちに元気になってもらう。一人じゃできないんだけれど、たくさんの人に支えてもらって、実現していきたいと思っています。

それまでスカラー候補生の声が響いていた講義室は、気がつけば静まり返り、出雲氏の話にみんなが引き込まれていました。

自分の好きなことに情熱を傾けているスカラー候補生たち。今も、これからも、自分の好きなことを周囲から評価されずに思い悩むことが度々あるかもしれません。そんな時、諦めずに努力を重ねていく勇気を出雲氏からもらったのではないでしょうか。

vol.015
西山浩平「人の幸せを作る、その仕組みをビジネスにする」

2016年3月7日のトップランナー講義は、実業家の西山浩平 氏による「人の幸せを作る、その仕組みをビジネスにする」。西山氏はユーザーの声から商品を開発するスペシャリストとして、「空想無印」「LEGO CUUSOO」など数多くの”みんなの欲しい ”を実現するサービスを世の中に生みだしています。

学生時代、彫刻家を目指していた西山氏。彫刻を学べる海外の大学を志望していながらも、親の反対を受けて日本の大学へ。その後、彫刻に没頭するもお金は回らず、近い造形物として鞄や家具を作って生計をたてたと言います。「自分が欲しい物を作る以外に、他人が欲しい物を聞いて作ることでお金が回ることに気づき、”自分の時間を売らずに、作った物を売って収入を増やす”にはどうしたら良いか、試行錯誤していきました。」

ユーザーのニーズを聞いて鞄や家具を作るビジネスは年商3,000万円ほどに成長するも、経営知識を学ぶため大手のコンサルティング企業に入社。そして1997年、クラウド上でみんなの“欲しい”を集約・情報化し、商品化を支援する、現在のクラウドファンディングの先駆け的サービス『CUUSOO SYSTEM』を創業します。「ユーザーの“欲しい”を聞いて、集積して分析する。弱いシグナルでも、それを集約する機能があれば、未来の市場に変えていけるのではないかと思うようになっていきました。」

西山氏は現在、これまでの経験を活かして新たな挑戦に取り組んでいるのだそうです。「LEGO CUUSOO というプロジェクトのとき、みんなが使えるためのサイトを作ろうと思ったのに、気がつくと、お金持ちで友達がたくさんいて色んなスキルを持っている人しか使えないサイトになっているのではないかと思うことがあったんです。ユーザーが増えれば増えるほど、できる人はどんどん集約されて、できる人のレベルは上がっていくけど、そういう境遇にない人は参加できない、そんな状態を解決したいと思うようになりました。」

そして、その打開策として目を付けのが、“紙”。「紙は、大抵どこにでもあるし、高いお金を払わなくても良く、使い方を覚えればいくらでも再現や発展ができる。そこで『紙でロボットを作れないか』と考えるようになりました。現在取り組んでいるのは、世界でまだ誰も成功していない領域、棒と紐に圧力をかけて構造物を作る”テンセグリティ”という方法での紙ロボット作り。テンセグリティの先端のレベルはまだまだ未成熟。だからこそ、挑戦していけば世界の最先端に躍りでていけるのではないかと思っています。」

この日、スカラー候補生はテンセグリティの手法で紙ロボットのパーツ作りに挑戦する時間があり、すかさず質問があがります。その一部をご紹介します。

スカラー:「人間の体が既にテンセグリティで成り立っているのに、あえてそれをロボットに応用する必要があるの?」

西山:「ロボットの研究でいうと、今の技術を実用化するための専門家は存在している。でも、将来の先端になるには、今まだ証明されていない技術を勉強する必要がある。教科書があれば、それは誰かが教えているということ。最先端、すなわち教科書がない状態を勉強するためには、自分が教科書になっている状態を作りだす方が良いと思っています。」

スカラー:「プログラムを伝えられてから自分でやってみて、一日でできるような簡単な物じゃないと思った。」

西山:「だからこそ、面白い、そして先端なんだ。みんなは、今ある技術だけを勉強しても将来は日用化された技術の専門家になってしまう。」

スカラー:「最近のめざましい科学の発展はすごいと思うが、人間がロボットに頼りすぎて堕落してしまうのではないかという懸念があります。」

西山:「ロボットにできない領域を常に発見し続けること、好奇心を持って人間が果たせる役割について探求したり、人類がロボットを開発するに至るまでの歴史を振り返ったりしつつ、一人一人が折り合いをつけていくことが大切だと思います。」

スカラーが続けて質問します。

「ということは、どの意見が正しいわけでもなく、唯一正しいのは、寛容さを持って多様な意見を認めるということですか?」

すると、西山氏が付け加えます。「そう思う。ただ、相手が言っていることを理解した上で、それでもやっぱりこっちの方が正しいのではと思うことがあるならば、寛容さに加えて、人々に問いかけ、引っ張るという作業も、可能ならばやってみることを強く勧めます。」

最後に、”みんなの欲しいを形にする”ことに携わる西山氏ならではのメッセージが伝えられました。「他人を幸せにしようと思っても、時にそれは偽物っぽい。まずは自分のやっていることが楽しくて、幸せになっていること。そして、それにお金が入るようになっていること。その結果、他の人をハッピーにできれば、ということが今日伝えたかったことです。」

自分の夢中なことを追求する先に、みんなの”欲しい”も実現する。そんな生き方を突き進む先輩の話から、スカラー候補生たちはどんなことを感じたのでしょうか。

vol.014
竹内信善 「好きなことをして生きる」

2016年2月8日のトップランナー講義は模型作家の竹内信善 氏による「好きなことをして生きる」。竹内氏はプロの模型作家として活躍しています。

竹内氏は「僕は学校に行きませんでした。家にいて、嫌いなことはやらなかった人間です。」と自己紹介をしました。聞けば、幼稚園から不登校を始め、小中学校時代、たまに学校に顔を出すものの、基本的に不登校、という生活を送ったそうです。家ではフィギュア作りに没頭していたとのこと。言ってみれば、ROCKETのスカラー候補生の先輩。

竹内氏はティラノサウルスなどの作品をスカラー候補生に見せながら、「誰も恐竜を見たことがないので、生きた姿を想像するしかない。その想像する作業が楽しい。」と語ります。

竹内氏は言います。「生物の形や動きを想像するときに、大事なのは『骨』。骨を組み合わせて、姿を想像する。楽しいと言ったけど、難しいことでもある。いろんなバリエーションが無限に考えられる。だから、骨を実際に見たり、インターネットで調べたり、最新の知見を集めたりして、こういう動きをするんじゃないか、表面はこうなっているんじゃないか、という考えを作品にしていく。」

そして、このように続けました。

でも、僕は科学的に証明するという役割ではなく、想像して作るという役割。だから、僕なりに考えると「おかしい」と感じるところを自分なりに変えて、模型を作っている。例えば、ティラノサウルスはやじろべえ型の体勢をとっているというのが定説だけど、僕は後ろにバランスを置くようにして作っている。いつも、これが正解じゃないかな、と思いながら作品を作っているけど、正しいとは言えないんですよ。

ところで、竹内氏と中邑ディレクターとは、実は竹内氏が中学生のときからの旧知の仲。作品紹介の後、竹内氏と中邑ディレクターとの対談が始まりました。

中邑:フィギュア作りはどこで学んだの?

竹内:学校では教えてもらっていないです。学校ではやることが用意されているじゃないですか。好きなことをやろうと思うと、用意されたことが邪魔になってくる。でも、用意されたことをやらないのはダメなんじゃないか、という気持ちが生じて、悪循環に陥っていく。僕は、学校に行かないから好きなことができた。

中邑:なんで学校に行かなくなったの?

竹内:僕は学校が好きじゃなかったから行かなかった。そのときにいいなと思ったのは、担任の先生が「お前はそういうこと(フィギュア作り)をしているのか」と言ってくれたこと。児童や生徒が全員そこにいなきゃいけない、とは言わず、野放しにしてくれた。だから好きなことができた。そういうユルさが残っている学校ならいいな。でも、それができにくくなっているならまずいと思う。学ぶシステムの一つが学校、という意味で、学校自体はあっていいと思いますよ。僕は行かなかったけど(笑)。

中邑:この人は学校に行っていないけど、よく勉強していると思う。あと、恐竜を介していろんなところでウロウロして、いろんな人と会っている。そして教えてもらっている。世の中の周りにいる人がみんな先生なんだよね。

竹内:実感をもって伝えるというのはすごく難しい。本からでは実感を得るのは難しいと思う。想像力を使って本を読む人は仮の実感を得られるかもしれないですが。できるだけ相手と言葉を重ねたり、その人の体温に合わせたりすることで実感のある情報を得ることもできるし、作品に実感を乗せて伝えやすくなる。そうすると、人と会った方が早い。

中邑:その方が専門家につながりやすいよね。

その後、スカラー候補生から続々と質問が出てきました。竹内氏が「不登校」、「ものづくり」という自分たちと類似した体験をしてきた先輩だからでしょうか、いつもよりも生々しい内容の質問が多く出てきました。例えば、「教師ってどう思いますか?」「以前、先生からこう言われて、訳がわからなかったが、どう思う?」などのように。

教師への思いについての質疑応答の内容はここでは内緒にしておきますが、学校や不登校についての返答については少しご紹介します。

中邑:一般的に、国っていうのはシステムをなかなか変えないって思われている。国全体を動かしていく、いろんな人の気持ちを変えていく、ということには時間がかかるからね。でも、今は多くの人が、何か変えなきゃいけないな、という気持ちにはなってきているんだよね。だから、ROCKETも国から応援してもらっている。

竹内:そうですね。いきなり、学校以外について知らない人が「(ROCKETやフリースクールのように)学校以外の場所があるんだよ」と言われても、想像できないじゃないですか。だから、色んな人に、学校以外の場所があるんだよ、と伝えようとするのが大事なんじゃないかな。

中邑:ただ、不登校になると目立たなくなってしまう。そういうときに、不登校しながらユニークなことを継続してやっている人が、学びの多様性についてアピールしていくことができるんじゃないかな?そういう意味で、竹内さんの存在は大きいと思う。

身近に思える先輩を前に、スカラー候補生たちはどのような思いを受け取ったのでしょうか。思いがカタチとなり、彼らのものづくりに表れてくる日が楽しみです。

vol.013
六角鬼丈「創造と感性」

2016年1月20日のトップランナー講義は建築家の六角鬼丈 氏。東京武道館の建築で有名な大御所です。

六角氏は「文化を作っている」と自己紹介し、「この二つは僕の中でも特徴のある建築」と、東京武道館や感覚ミュージアムについて、そのコンセプトや建築に至った経緯などをお話されました。そのなかには、完成してからの苦労話も。

例えば、東京武道館はひし形をモチーフに設計。表に見える形だけではなく、隅々や小窓にもひし形が現れています。そのため、凸凹が多いので、吸音設計ができているというメリットがあります。しかし一方で、雨漏りしやすい構造のため、完成後3年くらいは雨漏りしたそうです。その度にスタッフが駆けつけて対処し、排水構造を工夫してこられたとか。

また、東京武道館では「武道は芸術の一つ」というコンセプトであちらこちらに芸術作品が展示されています。さらに、設計時には敷地内で火を焚く構想がありましたが、経済的な視点から実現は叶わなかったそうです。そこでスカラーから「芸術作品なのに経済を理由に制限を受けてできなかったのは納得されたんですか?」と質問が挙がりました。

「納得はしていません。でもね、武道は芸術だって言ったのは私だけなんだよ。当時の審査員たちはとても評価してくれたんだけど、審査をした人と管理をする人は別。つまり、時代は変わっていくということ。経済性が問題になってくると、まず贅沢品、『なくてもいいじゃない』っていうものは外される。そこで難しいのは芸術や美学っていうのを外させないことで、建築家の戦いともいえる。でも、その頃にはこっち(建築家)が首を切られているかもしれないんだよ(笑)。難しいところだよね。それは日本自身の体質だと思う。」

そして、次々とスカラー候補生から質問が出てきました。例えば…

「独創的なところはどこから湧いてくるんですか?」

「多分、普段から色々なところに興味をもっていて、そういった興味が仕事に出会ったときに独創性が重なって出てくる。だから、日頃から自分が何に興味をもっていて、何を学んでいるのかというのはとても重要。必ずしも全部が役に立つとは限らない。100個の内、1個か2個、役に立ってくれればいいほうだよね。」

「建築物を作るときに一番大切にしていることはなんですか?」

「厳しい質問だな。作品の中に魂を入れられるかどうかだよね。仕事の中には、魂の入らない仕事もあるんだ。できるだけ避けたいんだけどね。」

六角氏は一息ついて、話を続けました。

あと、建築一個作るのに、東京武道館はコンペやってから、アイディアと設計に約2年間、工事に2年間。約4年間かかっている。感覚ミュージアムは、「こういうものを作りませんか?」と言って、スタートするまで5年間。仕事になって実際に作り始めてから5年間。あわせて10年くらいかかっている。ちっぽけなのに10年。

住宅1軒だって、長いのは1年、2年かかるよ。住宅産業の会社から言わせれば、1年もあれば何百軒も建っちゃう訳で、その違いがどこか説明するとね、大変だ。やっぱり建築やってよ(笑)建築をやればわかってくるよ(笑)。

六角氏の笑顔に、スカラー候補生から笑い声が溢れました。

最後に、六角氏の講義を受けて、中邑ディレクターからスカラー候補生へ以下のようなメッセージが伝えられました。

ここにいるみんなは物作りをしている。では、みんながやっていることと、六角先生のやっている物作りとなにが違うのか、考えて欲しいと思う。

六角先生は建築家であり、プロデューサーでもある。こんな大きなものを作るときに、ものすごい時間とエネルギーと、やっぱり人を動かす力が必要だと感じてもらいたい。今、みんなには好きなことをやっていい、と言っている。挨拶もしなくていい、何をやってもいい、自由にやっていい。でも、勝手にやるなら、自分で何か一つ身につけること。その後、それを見せながら人とコミュニケーションをとることを考えていかないと、大きなものは作れないし、世の中は動かせない。

その道に乗るかどうかは君たちの自由だけど、ROCKETでは、多くの子供達がそういう風に歩んでもらえる道を作りたいと思っている。

六角氏や中邑ディレクターの話を聴いて、スカラー候補生たちはどのような選択をしていくのでしょうか。スカラーやスカラー候補生たちが歩む道を、楽しみに見ていきたいと思っています。

vol.012
鈴木康広 ・高橋智隆 「僕たちのこだわり ー二人のアーティストが作品を通して語るー」

2015年12月8日、ROCKET2期生の初めてのトップランナー講義は、ロボットクリエーターの高橋智隆氏とアーティストの鈴木康広氏による対談でした。

まず、高橋氏は世界初のロボット宇宙飛行士KIROBOや電話にもなるロボットRoBoHoNなどを、鈴木氏は2009年に羽田空港で展示された「空気の人」や瀬戸内国際芸術祭2010に出品された「ファスナーの船」などを紹介し、それぞれに作品を制作する上での経験や価値観などについてお話されました。

その後、中邑ディレクターを交えて、高橋氏と鈴木氏の対談。その一部をご紹介します。

中邑:二人は子どもの頃、どんな子どもだったの?

鈴木:僕は実家がスーパーを経営していたので、スーパーが遊び場みたいな感じでした。従業員が親戚のおじさんだったり、近所のおばちゃんがパートだったりで。自分がレジの近くにいて、物を作っては見せて、「うまくできたね」とかほめてもらえたりして。作った物を見てくれる人がたくさんいる環境だった。作っていたのは野球のバットやミットを段ボールを編んで作ったりしていた。身近な素材で既製品を再現して、実際に使ってみる、とか。そういう意味で、デザインの基礎みたいなものを誰にも教わることなく、既にやっていた。

高橋:僕の場合は家に来た酒屋のおっちゃんとかに、作った工作とかを見せていましたね。親は、ものを作るのは好きだよね、他の子より得意だよね、と認めてくれていて。作ったものが役に立つかとか日本の未来とかどうでもよくて、自分が面白いと思うものを作る。それが作り続けられるように、みんなに説明ができることが大事だと思いますね。

鈴木:ものを作るとき、「普通」と対極にあるような人間の可能性を、僕たち作家みたいな人たちは、プライベートな空間で高めているんですよね。そういう訓練は誰かが教えてくれる訳ではなくて、自分でドキドキして自分の限界を超えるとか、自分自身のことを知って驚くとか、自分の殻を破るというのを自分で開発していく。

高橋:今、鈴木さんはかっこいいこと言っているけど、そのへんの道端でしゃがみこんで落ちている木の実とかをツンツンしていることなんですよね。

鈴木:そう。結構ヘンテコなんですけど、ただ、自分自身の感覚が全てなので、そこのセンサーを高めるために、道端でツンツンやったり人一倍それを観察してます。変な人だなと思われても、自分のやりたいことを優先するっていう生き方が大事なんじゃないかと思います。ところで、高橋さんは結構ひどいことを普通に言いますよね。

中邑:それを僕らは「毒を吐く」って言っているけど(笑)

高橋:いやー、なんて言い訳しよう(笑)ディスカッションしているときに、一般的なモラルで話をしていても何も面白いことは起こらない訳で。そもそもこれってどうなの?っていうところからひっくり返すと面白いなと思って、イタズラ心で話している。

鈴木:高橋さんの発言で周りがドキッとする。それはすごくアートだな、と思っています。そういうインパクトを高橋さんから今まで何度も受けていて、自分を変えていると思う。

最後に、中邑ディレクターからスカラー候補生へ、今日の話題は少し難しかったかもしれないが、みんなにはこういうことを聞いて欲しかった、と話がありました。「異領域の人たちがゴロゴロいるなかで、お茶を飲んだりごはんを食べたりしながら議論して、新しい考えが生まれたり、自分の考えが整理できたりっていうプロセスが起こっていくんだよね。たぶん君達が突き抜けていくプロセスのなかで、こういうことが必要になってくると思う。だから、毒を吐かれてドキッとすることもあるかもしれないけど、みんなには色んな視点を持ってそういう場面に飛び込んで行ってほしい。僕たちは君たちを子ども扱いせず、大人の場に連れて行って、そういう場面をどんどん体験してもらいたいな、と思っています。」とメッセージが送られました。

vol.011
2015年度オープニングセレモニーが開催されました

2015年12月8日、東京大学先端科学技術研究センターで2015年度のROCKETオープニングセレモニーが行なわれ、全国から選抜された13名のスカラー候補生が一堂に会しました。

オープニングセレモニーでは、日本財団 尾形武寿理事長、先端科学技術研究センター 神崎亮平副所長、内閣官房教育再生実行会議担当室長・内閣審議官 浅田和伸氏にご挨拶いただきました。会場には1期生のメンバーも駆けつけ、ハリケーンのような登場とユニークな発言に、会場は笑いの渦に。1期生のメンバーたちは、後輩に向けて漫談のような激励メッセージを発してくれました。1期生のその後、中邑賢龍ディレクターからROCKETプロジェクトのコンセプトと今後の活動についての説明があり、出席者に対してスカラー候補生を紹介していきました。今年もそれぞれ独特の世界観を持つスカラー候補生たちの個性が光るひと時となりました。

オープニングセレモニーの後には、トップランナー講義としてロボットクリエイターの高橋智隆さんとアーティストの鈴木康広さんによる対談が繰り広げられました。

vol.010
(1)一期生スカラー、ヨーロッパ研修旅行へ(2)第二期スカラー候補生の開校式の準備が始まりました

(1)一期生スカラー、ヨーロッパ研修旅行へ

2015年10月13日〜20日に、ROCKETスカラー3名がヨーロッパへ旅立ちました。行き先はパリ・ラギオール村・ロンドン・ローマ・バチカン。

研修旅行は、2名がROCKETの鹿プロジェクト(北海道の原野で鹿の角をゲットして自分のフォークとナイフを作れ!)でカトラリーを作ったことから興味が派生し、フランスを訪れることを希望。そのうちの一人は鹿角に見合うシルバーを探すうちに、唯一無二のアンティークに惹かれるようになり、アンティークがたくさん出回る蚤の市を訪れたいという気持ちを強く抱くようになりました。もう一人は、カトラリーを作る過程で、カトラリーがどのような歴史を辿ってきたかに関心を抱き、食文化やカトラリーの歴史的背景を探りにラギオール村へ旅をしたいと考えるようになりました。そして、最後の1名は古代・中世ローマを舞台にイラストを描き続けていて、実際に歴史的建造物を観て感じたいということでヨーロッパへの旅が実現しました。

ちなみに、今回の研修旅行は簡単に実現した訳ではありません。ROCKETでは、購入したい物がある、どこか行きたい場所があるなど、スカラーたちが何かをしたいと思った時、事務局に申請書を提出し、ディレクターやスタッフを説得する必要があります。今回もヨーロッパへの研修旅行を希望した3人は、それぞれに緻密な申請書を作成し、ディレクターやスタッフを前にプレゼンテーションを行い、説得を重ねて申請を通すことができたのです。

パリでは早速、蚤の市を回ってアンティークを物色。さすが本場です。様々な年代やデザインのカトラリーが所狭しと並んでいます。しかし、「本場だからいい物が安く手にはいるだろう」という予想は見事に裏切られ、その価格にびっくり。その後、マルシェで仕入れた素材でみんなで食事を作り、ホームパーティを楽しみました。また、ラギオール村では職人がカトラリーを一本一本手作りしている様子を間近に見たり、実際にラギオールナイフを使って食事をしたり。そして、各国の美術館や博物館、教会など歴史的な建造物を回りながら、その場に行かなければ感じられなかった空気の違い、脈々と受け継がれてきた歴史や文化を肌で感じる時間となりました。

そして、今回の旅ではスカラーたちが想定していなかった出会いがありました。それは貧困との出会い。街の至るところで目にする移民の姿に衝撃を覚え、その後、自らの作品によって貧困について表現し始めたスカラーや、移民問題について調べ直し、将来の夢に貧困に対する支援活動を加えたスカラーもいました。

今回の研修旅行での経験が、スカラーたちにどのように昇華されていくのか。ROCKETは彼らの活動を長い目で見守っていきます。

参考URL)

スカラー野中宏太郎さんの感想(動画)

https://www.youtube.com/watch?v=Wwj_su2fe40&feature=youtu.be

(2)第二期スカラー候補生の開校式の準備が始まりました

いよいよROCKETの第二期スカラー候補生が決まり、ROCKETでは12月の開校式に向けて着々と準備が進んでいます。

第二期スカラー候補生は13名。開校式までの準備期間には、スカラー候補生や保護者への希望の聞き取りなどを通して、事務局スタッフとの関係づくりが始まっています。また、スカラー候補生たちの在籍学校へディレクターとスタッフが訪問し、校長先生を始めとした先生方にROCKETの主旨をご理解いただくと共に、子どもたちのROCKETへの参加期間の平日を出席日数としてご配慮いただけるようお願いしています。

さて、第二期スカラー候補生はどのような子どもたちが選出されたのでしょうか。12月の開校式の様子などについて、今後のニュースレターで改めてお知らせします。どうぞお楽しみに。

vol.009
福島智「ありのままの生き方」

(1)トップランナー講義

9月29日、30日に開催されたROCKETのトップランナー講義は、福島 智 氏による「ありのままの生き方」。福島氏は東京大学先端科学技術研究センターの教授であり、専門はバリアフリー。福島氏は見えない(全盲)、聞こえない(ろう)、つまり盲ろう者です。世界で初めて大学に入学した盲ろう者はヘレンケラーが有名ですが、福島氏は日本で初めて大学に入学しただけでなく、世界で初めて盲ろう者として常勤の大学教員になりました。2001年から東京大学へ入職し、現在は教授に就任されています。

「僕は9歳の終わりの頃に見えなくなり、18歳で聞こえなくなりました。スカラー候補生のみなさんと同じくらいの歳ですね。」と福島氏は話を始めました。

視力を失った小学校4年生のときに地元の神戸市の盲学校へ移り、高校からは東京の盲学校へ進学。そして、高校2年生で聴覚を失った時のことを福島氏はこう語りました。

「耳が聞こえなくなって、すごく困った。目が見えないということで、耳に頼って生活していたし、コミュニケーションも音楽もスポーツもできなくなってしまった。聞こえなくなったときは神戸の実家に帰っていましたが、両親や兄弟と会話ができない。何が困ったって、それが一番困った。」そして、福島氏は試行錯誤しながら現在のコミュニケーションに至った経緯を語りました。

仕方がないから、点字で筆談しようと思った。でもこれはすごい時間がかかる。そこで、点字タイプライターを使うことを考えた。点字を書くよりは少しは早く打てる。しかし、タイプライターは重いし、病院の待合室などでは使えない。なぜならうるさいんですよ。それに、自分が動き回っていたりするとタイプライターは使えない。

ある日、母親が指点字を思いついた。タイプライターのイメージを残しながら、母親が点字を僕の指に打った。最初の言葉が「さとし、わかるか」。自分はいつかすごい方法を見つけてやろうと思っていたが、母親のアイディアを超えるものは見つけられなかった。

東京の盲学校に戻って、周りの友達に「こんな方法があるんだよ」と指点字について話したら、すぐにわかってくれて、みんなと話せるようになった。それがすごくうれしかった。そして世界が広がっていった。

「しかし、その後、僕はすごく落ち込んでしまった。」

例えば、クラスでみんなでワイワイ雑談している。そこでクラスの子が自分のところへきて指点字で話してくれる。でも、話している相手の言葉しか読めない。

それは人が突然現れる感じ。真っ暗で静かな地下の穴倉みたいなところに自分はいて、その部屋に窓があって、この窓の向こうに数え切れない人がいる。窓のところに人がきて、5分か10分話をすると「じゃあね」とその人はいなくなってしまう。それが繰り返される。

話しに来てもらえるのはうれしいけれど、すぐにみんなどこかへ行ってしまう。

指点字という方法がある。だから話をすることはできるはずなのに、僕はつまらなかった。

つまらないのは、みんなの話に溶け込めないからだなぁ、と気づいた。

この壁をやぶる方法として、通訳という方法が出てきた。通訳者の助けを得ることでコミュニケーションができるようになった。2人だけの世界では広がりはない。だけどそこに3人目の人が入って、発言をしている人の名前を書いて、発言内容を伝える。劇の台本みたいに、泣いているとか笑っているとか、状況説明をする。この方法で僕はやっていけると思った。

次の大きな壁は大学進学だった。

日本は前例がないことにはすごく抵抗がある。現役のとき、大学が受験をさせてくれなかった。共通一次を受けることはいいけれど、二次試験を受けられては困る、という大学もあった。これはつまり、試験を受けて成績が悪いから落ちるということではない。試験を受けても、そもそも大学に入れないということ。

自分の実力ではなく、大学の都合や日本の社会に前例がないから無理なんですと言われるのは、腹立たしいこと。父親からも、大学に行ってこれ以上大変な思いをしなくてもいいんじゃないか、と言われた。僕は嫌だと思った。現実が厳しかったから戦わざるを得なかった。

そして、1年間浪人をして、大学へ進学した。その後も色んな壁にぶつかってきた。

とにかく、自分がやりたいこと、やってみたいと思うことを簡単に諦めないで取り組むことが大事だと思う。実際のところ、実現は無理ということもあるけれど、やってみないとわからない。私の経験では、やってみると案外いろんな可能性が出てきて、いろんな助けが出てきて、自分では思いつかなかった方法が出てきて、壁がやぶれることがある。

それまで静かに話を聴いていたスカラー候補生たちから、次々と質問が出てきました。一部を紹介すると…

「全盲になって逆に見えるようになったことはありますか?」

「耳に神経を集中するから耳がすごく敏感になる。声のトーンやちょっとした声の響きの変化で、その人が本当はどう思っているのかがわかるようになった。でもそんなに素晴らしいことはないかな」と福島氏は笑い、そして続けました。

あと、どうして見えなくなったんだろう?ということを考えるようになった。色々できなくなったことがある。辛さや苦しさや悲しさがある。それを見つめながら生きていく。そういう姿のなかに生きていく意味があるんではないか、と考えた。そういうことに気づいていけたことがよかったなぁ、ラッキーだったなぁと思う。

「周りに変わってほしいこと、求めていることはありますか?」

福島氏は「それは色々あります。あなたはある?」と質問を返しました。スカラー候補生は「まずは学校に行かないといけない、みたいな風習がなくなるといいと思う。」と返答しました。

「そうですね。多くの人がルールに従っていて、でもそのルールに従えない人がいて、そういう人がいることを社会は想定していない。それが困ることにつながる。僕はやわらかい社会になるといいなぁと思っている。僕のような条件であれ、違う条件であれ、ルールに従えない困難を持っている人がありのままに生きやすい社会になっていくこと。それがやわらかい社会だと考えている。」

いくつもの困難な壁に阻まれそうになっても、志をもって突破し、日本の社会に前例を残してきた福島氏の姿や言葉。スカラー候補生たちは福島氏の言葉を胸に、近い未来にどのような前例を作っていくのでしょうか。

(2)ミッションを遂行せよ! ROCKET版プロジェクト・ベースド・ラーニング(PBL)報告

ROCKETでは、スカラー候補生が3つのチームに分かれ、それぞれにミッションが与えられています。そのミッションとは、

プロジェクト鹿:北海道の原野で鹿の角をゲットして自分のフォークとナイフを作れ!

プロジェクト茶:四国の山中に伝わる幻の発酵茶を探し、同じものを作れ!

プロジェクト椅子:汚れ傷んだデンマークの椅子をゲットし、新品に再生せよ!

各チームにミッションが与えられたのは3月。それぞれの課題を遂行するために、スカラー候補生はネットミーティングや月一回の東京でのミーティングの実施の他、6月から7月にかけて各チームは現地へ赴き、プロジェクトに取り組んできました。そして今期の一区切りとなる9月、ROCKETの活動はまとめの段階となりました。スカラー候補生たちは、それぞれが取り組んできたことやプロジェクトで得たことなどを、発表会という形で保護者を始め、中邑ディレクターやスタッフを前に伝えました。

さて、発表会当日。プロジェクト鹿・プロジェクト椅子・プロジェクト茶のそれぞれのプロジェクトは、それぞれ全く異なる方向へと展開され、ミッションをうまく果たせたのではないかというプロジェクトもあれば、自分たちのい課題が見えてきたプロジェクトもあります。自分の取り組んできたことと、このプロジェクトの活動を結びつけて新たな方向へ進んでいる候補生もいれば、課題を突きつけられモヤモヤと考えている候補生もいる…。それもこの答えのないプロジェクトの面白さ、醍醐味ではないでしょうか。

今期の活動の最後に、それぞれのプロジェクトリーダーであるスタッフからスカラー候補生たちにそれぞれのプロジェクトのこれまでの活動が報告され、このプロジェクトを通してスカラー候補生たちに伝えたかったことが話されました。いくつかあるのですが、ここでは一つだけ皆様にもお知らせします。それは、「何かに取り組む真剣さ」。今後、こういったプロジェクトに参加する人にとって、あまり種明かしをしてしまうとつまらなくなってしまうので、詳しくは秘密にしておきますね。

これから1期生はそれぞれの新しいステージへ進み、ROCKETに2期生が加わって新たな取り組みがスタートしていきます。常に新しいチャレンジをする異才発掘プロジェクトROCKETのこれからにご期待ください。

vol.008
猪子寿之「仕事と遊び、リアルとバーチャル」

8月26日、27日に開催されたROCKETのトップランナー講義は、猪子 寿之 氏による「仕事と遊び、リアルとバーチャル」。猪子氏はTeamLab(チームラボ)の代表であり、テクノロジーとデザインを融合させたアート、遊園地などのアトラクション、ソフトフェア、ウェブ、映像などの作品を次々と生み出し、その作品は国内外で高く評価されています。

猪子氏はチームラボを「会社でもあり、チームラボ自体がアーティストでもあるのね」と説明します。

チームラボのアートやイベント作品は、 床や壁一面にデジタル映像が映し出され、鑑賞者が映像に触れることで映像が変化していくなど、鑑賞者が作品の一部になってしまう楽しみがあります。例えば、お絵かき水族館というイベントでは、大きな壁面いっぱいに様々な魚が泳いでいる水族館が映し出されていますが、子どもなどの参加者が紙に描いた魚が、なんとその水族館で泳ぎ出すのです。子ども達は自分の描いた魚が泳いでいるのを指差して歓声を上げ、魚を触るとまた動くのがうれしくて遊び続けます。

スカラー候補生から「未来館のイベントに行きました!」などの声も。猪子氏はすかさず「えらいねー」と返して笑いました。

猪子氏はスカラー候補生に動画を見せながらチームラボの作品を紹介し、その元となる考え方を語りました。

デジタルの反対語は自然みたいなイメージだけど、俺はそうは思っていなくて。人間が作る人工物は物質に頼っていたんだけど、物質こそが自然の反対語じゃないかと思う。デジタルっていうのはもっと自然と寄り添えると思っている。なぜなら物質ではないから。だから、自然そのものをデジタル化することでアートになるんじゃないか、と思っている。

作品映像を観ていたスカラー候補生から「作品に光を使っていることが多いですが、どうして光なんですか?」と質問が出ました。

猪子氏は、「今まで文章を書くとか絵を描く場合、紙にくっつけないと存在出来なかった。でもデジタルは物がなくても言葉や絵がそのまま存在できる。人間が考えたことを概念のまま存在させることができる。最後のアウトプットに僕らは光を使うことが多いけど、その理由は、光だとどんどん動かして変化していけるからね」と返答しました。

「アイディアはどうやって生まれるんですか?」すかさず、他のスカラー候補生からも質問が。猪子氏は「デジタルはどう表現を変えることができるのかを模索していく中で、だんだんと積み上がっていくもんなんだよね。君たちくらいの年代の時には全然何も思いつかなかったよ。実際にやっていくことや実験することで発見して積み上がっていく。突然、思いつくっていうのは嘘だと思うよ。もちろん『アイディアがふってきた』って言えば周りの人が喜ぶから、俺も時々嘘つくけど」と会場は笑いの渦に。

「どうしてチームラボは大きくなったんですか?」スカラー候補生から、違う視点の質問が出てきました。猪子氏はえーっとね、と間を置いてから、話し始めました。

新しい分野だから、先輩がいないから大きな仕事が受けられる。その分野が伸びると、必然的に需要ができる。もしくは、自ら需要、つまりは新しいマーケットを作れる。その作品を他に作っている人がいなくて、世界で100人に1人でも「油絵よりも動く絵の方が面白い」と思ってくれれば、アートになるし、仕事になる。大きな世界を相手にしているから、会社が大きくなった。自分は徳島っていう田舎だったんだけど、そこで仕事してたら、みんなの支持を得なければっていう仕事をしていたかもしれない。でも、世界を相手に仕事したら、少数でも強い支持が得られればいい。

そして、スカラー候補生が「チームラボを始めるきっかけは何だったんですか?」と手を挙げました。

インターネットが出てきて、どうも新しい社会が始まりそうだと思った。だからこそ、デジタルやネットワークでできることを模索したかった。一方で、シリコンバレーですごい会社がどんどん出てくるし、世界がつながっていくとか、そういうのはシリコンバレーの人がやるから自分のやることじゃないなと。

一方でアートが好きだったから、デジタルが人間の表現を変えるんじゃないかと思った。当時、デジタルでアートをやっている人はほとんどいないから、一流っぽく見えるでしょ(笑)。新しい世界にはプロがいないし、しょぼいっていうのもわからない。それで、デジタルの世界にかけることにした。

そして、猪子氏は「すごいしょーもない話なんだけど」と照れ笑いを浮かべながら、話を続けました。

自分の人生を振り返って、何が一番楽しかったのかなと考えたときに、高校の時に友達とお化け屋敷をやったことを思い出した。ややこしい年代の男子の高校生でも怖いようなお化け屋敷を作ろう!と友達と考えて。結果的に、すごいウケた。自分一人じゃできないことも色んな人のアイディアで作ることができたし、作りながら新しい方法を見つけたりして、それが非常に楽しかった。できればそういうことを仕事にしたいと思った。仲間と手を動かしながら考えて作る。作ったもので人々が感動したりびっくりしてもらえればいいなと。

あと、もう一つ理由がある。自分は一人でちゃんとできない。時間も守れないし、メールも面倒であんまり読めない。電話かかってきても出たくない。一人で社会に出てくのは無理だな、と感じていた。だから、仲間とチームとしてやっていければ、社会とうまく接点が取れるかなと思った。

チームの方が楽チンなんだよね、実は。欠点を欠点のまま生きていける。人間として完成度が低いまま生きられる。

競争力のない新たな分野で、チームで共創する。猪子氏の生き方や作品は、スカラー候補生たちの「こうでなければいけない」という固定観念を緩ませて、驚きやワクワクを届けてくれたようでした。

vol.007
遠藤謙「未来を生きる人間の可能性」

7月22日、23日に開催されたROCKETのトップランナー講義は、遠藤 謙 氏による「未来を生きる人間の可能性」。遠藤氏は日本人の身体に合う、軽量で小型なロボット義足を開発しているエンジニアであり、その活躍はメディアなどでも盛んに取り上げられています。

講義前、スカラー候補生からは「途上国の義足の支援について聞きたいです!」と声が挙がりました。事前に遠藤氏のことを調べてきて、講義が始まるのが待ちきれない様子です。

遠藤氏は「僕はエンジニアです」と笑顔で話を始めました。「エンジニアって何をしている人かわかる?」という遠藤氏の問いかけに対し、「ものを作っている人?」「研究者は理論を作っている人で、エンジニアは実際のものを作っている人かな」など、スカラー候補生たちが返答します。遠藤氏は続けます。「『こんなものがあったらいいな』を『じゃあ作ってみようか』と形にするのがエンジニア。僕は研究もしているけど、ちゃんとものを作りたいと思っているので、自分はエンジニアと言っています。」

「で、何を作っているかというと、義足。友人が骨肉腫という癌で足を失った時に、義足は30年くらい前から変わっていないことを知り、そろそろ進化しなくてはいけない、まだ世の中に無いものを作りたいと思った。」と義足開発に携わることになった経緯を語りました。

そして、MITメディア・ラボのヒュー・ハー教授の元へ留学。ハー教授は自分の足を自分で作ろうとロボット義足を開発し始めた方です。そして、帰国後の今も、「世の中には身体に障害をもっている人はいない。ただ、テクノロジーの方に障害がある。」というハー教授の言葉が遠藤氏の原動力となって、義足の研究・開発に取り組んでいるそうです。

スカラー候補生から、「それなら、再生医療で足を再生すればいいんじゃないですか?」と声が挙がりました。

「再生医療は元通りの足に戻りたい人には素晴らしい技術だと思う。でも、めちゃくちゃ早く走りたいという人もいるかもしれない。そういうときに、別の足をつけることで人間の可能性を超えることができる。ぼくはそれがとても面白いと思う。」そして遠藤氏はロボット義足の研究や開発について説明をしました。

「ところで、世界で唯一販売されているロボット義足はいくらだと思う?」という遠藤氏からの問いかけに、スカラー候補生たちは「一億円!」「500万円!」「二千万円!」などと口々に答えます。答えは、一千万円。「そんな、とても買えないよー」とスカラー候補生からため息が聞こえます。

「そう。世界では、足を失った人の半分以上はお金がない。」

そして、インドを中心とした途上国への義足支援について遠藤氏は話し始めました。インドでは、10歳の女の子に3,000円位で義足を作ってほしい、という依頼があった。苦労しながら義足を作り、その女の子は生まれて初めて歩くことができた。「歩けるって実は幸せなこと。」と、今も支援団体と共に、義足を提供する支援を継続しているそうです。

「障害者ってかわいそうだと思う?」

遠藤氏の質問に、「かわいそうだと思う」とスカラー候補生。

「僕も正直、少しかわいそうだと思う。だけど、」と遠藤氏は続けました。

パラリンピックの100m走の記録はどんどん伸びていて、健常者とほとんど変わらないタイムで走れる人が出てきている。もしかしたら、近い未来にパラリンピックの方がオリンピックのタイムより早くなるかもしれない。僕は本気でそう思っている。実際、次のリオのオリンピックでは、走り幅跳びで金メダルを取る人は障害者かもしれないところまできている。

だから、2020年の東京パラリンピックに向けて、ものすごく早く走るアスリートを育てたいと思って競技用義足を開発している。種目は100m走。そこで、選手が健常者よりも早いタイムで走ることができたら障害者への世間の見方が変わるでしょう。競技用義足というテクノロジーによって、障害者を「かわいそう」と思わない社会がくるかもしれない。僕はそれにとてもワクワクする。

遠藤氏の言葉に、必死で拍手をするスカラー候補生がいます。「すげー!」と目を見開いて周りの子ども達の顔を見回すスカラー候補生も。

障害者と健常者の境界線は実は曖昧なもの。遠藤氏はエンジニアとしてその境界線を行き来できるテクノロジーを開発し、義足によって障害者の色合いを薄くしていきたい、と語りました。

僕はパラリンピックに向けて競技用義足を作る。だけど、大事なことは、その技術を打ち上げ花火で終わらすのではなく、2020年以降にどんな社会になるのか考え、使った人が幸せになるものを残したい。エンジニアは作ったものの先にいる人々の幸せを作らなくてはいけないと思う。

遠藤氏の講演が終わって、スカラー候補生からは義足をどのように開発してきたか、インドの支援の実際や課題、ロボットとの共存社会についてなど、質問が次々と溢れ出てきました。その様子は、スカラー候補生たちが遠藤氏のワクワクに感染したかのようでした。遠藤氏の仕事に対する姿勢や「エンジニアとは」という熱い思いに、スカラー候補生たちは大いに触発されたのではないでしょうか。

vol.006
多湖弘明「鳶 上空数百メートルを駆ける職人のひみつ」

1)トップランナー講義

 64日、5日に開催されたROCKETのトップランナー講義は、鳶職の親方としてスカイツリー建設に携わった多湖 弘明 氏による「鳶 上空数百メートルを駆ける職人のひみつ」。多湖氏は親方といっても30代。20代後半に「スカイツリーを建てたい」と大阪から上京し、10年後、その夢を見事に叶えました。そして、一人でも多くの人に鳶という仕事を知ってもらいたいという志のもと、著書の出版や写真展の開催、メディア出演など精力的に活躍されています。

多湖氏はスカイツリー建築を例に、鳶の仕事について説明されました。工事現場では日々、想定外のことが起こります。例えば、鉄は溶接により伸びるため図面通りにはならず、現場で数ミリ単位の調整が必要になるのは常。それを一つ一つ鳶職人が調整していく。それに、悪天候でも仕事を止めるわけにはいきません。雨や雪でもカッパを着て動き回り、強風でも風を計算してクレーンを動かす。スカイツリーでは、634mの上空、40m/sの風が吹きつけ、マイナス40度の体感温度の中で、鳶の仲間たちと手で雪かきをした経験も。「上までスコップを持って上がるわけにはいかないですからね。手ですよ、手!」と多湖氏は笑いました。

スカラー候補生からは「高いところで怖くないんですか?」「体力的にぼくには無理だ」などの声が。

 多湖氏は続けます。「鳶は、困難な問題をどのように解決するか、その場その場で臨機応変に考える力こそが技なんですよ。クレーンがあっても操作するのは人。そういう意味で、職人の技術は科学技術を凌駕する。」 

「確かに、今はロボットは指示通りにしか動かないけど、職人の方が臨機応変に対応できる」「職人が存在する限り、安泰なんじゃないかな」とはスカラー候補生。

そして、多湖氏は「大型バイクは新幹線に勝てるのか?」と話を始めました。

すると、そこにスカラー候補生が「バイクで新幹線に勝つなんて無理でしょ」と言って、もちまえの知識を語りました。そのとき、多湖氏の大阪なまりが強くなり、空気が一変。

プロの腕があれば勝てるんですよ。要は腕次第。

確かに知識はあるに越したことはない。けどね、世の中は知らんことで埋まっている。鳶職についても知らんかったでしょ。知らんことに気づかんかったんですよ。知らんかったから。一番危険なのは、話を聞いて知った気になること。

ワイヤーの太さによって、クレーンで釣れる重量は決まっている。でも、その数字を知っていても、ワイヤーが切れる時は切れるんですよ。その危険を何で判断するかというと、目や耳。ワイヤーを叩いてみたときの音や、ワイヤーの角度や滲み出る油の量を確認する。自分たちはかつて、実際にどれだけの重量まで耐えられるのか、様々な状況で試して、体感を磨いた。

知識と経験が両方あってこそ、直感が生きてくる。だから、自分で飛び込んで行って、体験することが大事なんですよ。とにかく自分で決めること、人のせいにするな。どうせ、と考えていても損なだけです。自分で選んで失敗してもいいやん。失敗しても糧にしていけば。 

「自分は知識ばっかで薄っぺらかも」とスカラー候補生がつぶやきました。「失敗したい!失敗できる実験がしたい!」と他のスカラー候補生が声をあげました。法律、学校、親や大人からの制限を理由にして、やりたいことに飛び込めずにいるのは自分自身だということに気づいた様子です。

 「出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は打たれへんのやから、とことんやったらええ。」

 スカラー候補生たちが多湖氏のメッセージをしっかりと受け取り、「出すぎた杭」になれたとき、未来のスカイツリーが建てられるのかもしれません。

  

2)ミッションを遂行せよ! ROCKET版プロジェクト・ベースド・ラーニング(PBL)紹介

ROCKETでは、スカラー候補生が3つのチームに分かれ、それぞれにミッションが与えられています。そのミッションとは、

 プロジェクト鹿:北海道の原野で鹿の角をゲットして自分のフォークとナイフを作れ!

プロジェクト茶:四国の山中に伝わる幻の発酵茶を探し、同じものを作れ!

プロジェクト椅子:汚れ傷んだデンマークの椅子をゲットし、新品に再生せよ!

各チームにミッションが与えられたのは3月。それぞれの課題を解決するために、スカラー候補生はネットミーティングや月一回の東京でのミーティングを行い、必要な情報を集めたり関係者への連絡調整をしたりと準備を重ねてきました。そして6月から7月にかけて、各チームは現地へ赴きました。さて、ROCKETPBL、どんな様子なのでしょうか。各チームからの経過報告です。

【プロジェクト鹿:北海道の原野で鹿の角をゲットして自分のフォークとナイフを作れ!】

プロジェクト鹿チームは、71日から7日にかけて、スカラー候補生4名と共に、北海道の十勝平野へいざ出陣!

7月に鹿の角を原野に探しに行く旅は、命がけのミッションでもあります。なぜなら繁殖期のオス熊がメスを求めて活動しているからです。そんな危険な森の中を、自分の足で鹿角を探すことは無防備という他ありません。野生の熊には、聴覚や嗅覚が優れた野生のレーダーを備えた馬こそが必要!ということで、人間が察知しない熊の気配をいち早く察知し、危険を回避してくれる馬に乗って森へ入ることになりました。

そこで、まず私たちが向き合う対象は「馬」となりました。草食動物で群れをなして行動する馬は、基本的に臆病な動物で、人の気持ちに敏感に反応します。そんな馬を乗りこなすためには、自分が信頼できるリーダーであるという強靭さを馬に示し、馬の気持ちを読み取りすぐに反応を返すという迅速で繊細な対応が必要です。

もちろん、馬を乗りこなすスキルをもったスカラー候補生はいません。そのため、馬から「リーダー」としての承認を得ようと、毎日、早朝に起きて馬房掃除や餌やりをし、馬場で馬とコミュニケーションを繰り返します。時には馬小屋で一緒に馬と寝る経験もしました。愛着をもって馬と接することで、馬との信頼関係を築いていきます。そして、ようやく森の中に入れるという時期を迎えたのは、北海道を去る2日前のことでした。

 自らの命を馬との信頼関係に託し、一本の手綱を握りしめて、森の中へ。スカラー候補生達の背丈ほどまで伸びた草むらでは、各自が「鹿の角アンテナ」を立てて探さなければ、鹿の角を簡単に見過ごしてしまいます。そのような中で、奇跡的に3本もの鹿の角にめぐりあうことができました。

大自然の中でようやく原材料の鹿の角を手に入れた子ども達は、ミッションをやり遂げるために次なるステージへと進んでいきます。鹿の角をゲットするために馬と信頼関係を築くという、一見つながりそうにない「つながり」を体感した子ども達が、どんなフォークとナイフを創り出すのか、楽しみでなりません。

【プロジェクト茶:四国の山中に伝わる幻の発酵茶を探し、同じものを作れ!】

プロジェクト茶チームは、613日から20日にかけて、スカラー候補生3名と共に、高知県の山の中、大豊町へ。

合宿前に、子ども達は幻の発酵茶が「碁石茶」であることを探り当てました。碁石茶は、江戸時代から四百年あまりに渡って、高知県長岡郡大豊町で作り続けられてきたお茶で、日本で唯一の後発酵茶です。碁石のような形をしているから碁石茶という名前がついたそう。 

大豊町は山深く、限界集落といわれる高齢化の著しい場所です。そんな大豊町で代々、碁石茶を作ってきた農家に協力を得ることができました。合宿に入り、いざ畑へ。農家のおじいさんから「このお茶の葉を刈るよ」と示されたのは、山肌に貼りつくように植えられたお茶の木々。立っているだけで精一杯なほどの急勾配の畑で、カマを持って、枝ごと茶葉を刈り取ります。ある程度刈り取ったら、ワラで一括りにして、山を登り、茶葉の束を小屋へ運ぶ。その繰り返し。最初は元気に飛び回っていたスカラー候補生も、そのうち表情がなくなり、ゲッソリと。それでもまだ3時間しか作業していません。「農家ってこんなに大変なのか」とつぶやく姿も。

翌日からは、大きな蒸し樽で枝ごと蒸された茶葉を、葉と枝とに選別する作業。おばあさんたちに教えてもらいながら、枝や雑草などを退けていきます。一生懸命やっているのに、細かい枝は次々と見つかります。茶葉は昔からの菌が息づく室の中へ。いよいよ一次発酵の段階に入ります。小屋中へ敷き詰められた葉が室の中へ収まり、ホッとしたのもつかの間、次の蒸し樽から熱々の茶葉がザザーッと敷き詰められます。スカラー候補生たちはこの作業を一日中、行いました。

その後、東京に刈り取った茶葉を持ち帰り自分たちで碁石茶を作る一派と、大豊町に滞在しながら室の中で発酵する茶葉の観察を続ける一派、2つに分かれてプロジェクトは続きました。脈々と受け継がれてきた伝統と、その伝統を守る大豊町の人々の暮らし。そして四百年に渡って息づく菌や天候等、自然の塩梅によって進む発酵の過程。今回の旅を通して古くから守られてきたものを慈しむ気持ちに触れたような気がします。

さて、子ども達は「碁石茶」を作ることができたのでしょうか。結果はまたの機会に!

【プロジェクト椅子:汚れ傷んだデンマークの椅子をゲットし、新品に再生せよ!】

 プロジェクト椅子チームは、69日から11日にかけて、スカラー候補生4名と共に、栃木県の塩谷にあるIKURU DESIGN工房へ。

合宿前、スカラー候補生たちが目にしたのは、箱に入れられた天童木工の水之江椅子が中邑教授により、大学の建物から階下へ投げ落とされるという派手なパフォーマンス!「さあ、解体だ!」と中邑教授から声がかかると、子ども達の士気が一気に高まり、一人一脚ずつ椅子の解体が始まりました。万力等の道具を使う者、力づくでハンマーと人力だけで壊していく者、緻密に計算し、時間をかけてそーっと解体していく者。それぞれの個性が見え隠れします。そして、バラバラになった椅子を丁寧に箱に入れ、工房へ送りました。

工房に到着し、「さあ、自分の椅子を再生するぞ!」と張り切りましたが、その前に与えられた課題は自分たちの使う作業台作り。作業台は重くて大きく、部品がたくさんあります。それなのに、説明書の言語はスウェーデン語。ああでもない、こうでもないと、みんなで試行錯誤する中で、自然と子ども達が力を合わせていく場面が見られました。

 作業台が完成したら、いよいよ椅子の再生です。筋肉痛になるくらい真剣に木目を研磨したり、好みの色を塗ったり、それぞれの子ども達の感性に任せていく中で、彼らの椅子との向き合い方が少しずつ丁寧かつ繊細になっていく様子が感じられました。自分の椅子に対する愛着が沸いたのでしょうか。

 普段から物作りをやっている子ども達が多い椅子チーム。この合宿を通して、あるスカラー候補生は「人は一人では決して生きていく事はできないのだと気づきました」と語りました。自分一人で好きな事をやっているだけでは、その先に広がりは無い。ほかの人と一緒に、それぞれの持つ能力や知識を組み合わせていく事で、世に残せる何かを生み出していけるのだ、という事にも気づけたようです。

 さて、自分達で考える椅子の「完全なる」修復。その意味とは果たして何なのか?組み上がった椅子を前にして、子ども達には新たなミッションが待ち構えています。

vol.005
PBL(Project Based Learning)ミッション

ROCKETではただ今、PBL(Project Based Learning)がクライマックス。我々がスカラー候補生に与えたミッションは3つ。

プロジェクト 鹿:北海道の山で鹿の角をゲットして自分のフォークとナイフを作れ!

プロジェクト 茶:四国の山中に伝わる幻の半発酵茶を探し、同じものを作れ!

プロジェクト 椅子:汚れ傷んだデンマークの椅子をゲットし新品に再生せよ!

子ども達は、個の思考を深める者、チームで議論をする者、情報を共有して新たな気づきをする者、ただただ悩む者、様々な時間を過ごしながら準備を重ねてきました。今月はそれぞれのチームで現地へ出向き、実際に体を動かします。北海道の原野、高知の限界集落、栃木の工房へ意気揚々と出発です。

子ども達が、ミッションの先に見たものは何だったのか。来月ご報告したいと思います。是非お楽しみに。

また、トップランナートークでお招きしたのは、鳶職の親方としてスカイツリー建設に携わった多湖弘明氏。こちらも7月号で詳しくお知らせいたします。

vol.004
堀江貴文「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」

4月22日、23日に開催されたROCKETのトップランナー講義は、堀江貴文 氏による「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」。そう、あのホリエモンです。

「自分が小学生だったときに想像していた世界が今、ここにある」と堀江氏は言います。

そのキーワードはインターネット。堀江氏はこれまでの経験を振り返りながら、自らの考えをスカラー候補生たちに伝えていきます。

インターネットのある現代、情報へのアクセスは平等。何が違うかというと、実行力。今、その情報を使えるかどうかというのが重要。将来何になりたいかを考える必要はない。こういうことをやりたいな、ということは今すぐやればいい。何もためらうことはないんです。

現代は子どもであっても差別されません。大人にならないと、というのはもう古い考え方。20歳はもう十分な大人です。世界的にはそういう流れになっていて、20歳以上であれば企画次第で数千万円の融資が受けられるチャンスだってある。そういう時代に、なんで今やらないのか。とりあえず見切り発車で始めてみて、成功するまで諦めずに失敗すればいい。みなさんはまだ経験してきた時間が短い。失敗もあまりしていないので、ためらう必要もなく、色んなことにチャレンジできる。42歳の僕からすれば、失敗できる時間がたくさんあるのがうらやましい。

また、義務教育に対しても、堀江氏独自の切り口で語ります。

現代の義務教育は明治時代に作られた制度であり、徴兵制に基づくもの。今は、ロケットを作るなど、昔だったら国家レベルのプロジェクトを民間企業がやっている。そういう意味で、日本国民の構成員を作る必要性がどこにあるのか。同じ場所で決められた時間に異質な人たちと同じことをする必要はあるのか?今の義務教育は現代には合わない。

そこで、一人のスカラー候補生が「では、義務教育を変えようと思わないんですか?」と手を挙げました。堀江氏は「思わない。面倒臭いから」と周囲を笑わせた後、スカラー候補生の質問に触発されたように、その理由を話し出しました。

義務教育が合う人もいる。心地よく義務教育の中にいる人を変える必要はないと思う。が、僕みたいに合わない人たちもいる。そういう人たちに強制してはいけない。義務教育から出たときに、ドロップアウトしたとか、逃げ出したとか、そういう風に言われるのは嫌じゃないですか。もっと多様な生き方を認めればいい。つまり色んな道があることを社会全体で認めることが必要だし、皆さん自身も色んな道があることを認めることが大切です。マジョリティの道があってもいいし、オルタナティブな道を認めてもいい。

現行の義務教育に違和感を覚えて飛び出したスカラー候補生たちは、堀江氏の言葉によって自分自身の中にある迷いや引っ掛かりに気づいたようでした。そして、「やりたいことを、今、やる」ことに力強く背中を押してもらい、改めてそれぞれの得意なことに邁進していくエネルギーをもらったのではないでしょうか。

vol.003
西成活裕「数学の力は大統領にも勝る」

3月25日、26日に開催されたROCKETのトップランナー講義は、東京大学先端科学技術研究センターの西成活裕 教授による「数学の力は大統領にも勝る」。西成教授は数学・物理学のなかに「渋滞学」という新しい分野を切り拓き、社会問題である渋滞の解消に大きな影響を与えてきた方です。

西成教授は子どもの頃の夢を皮切りに、若い頃の経験をスカラー候補生たちに話しました。20代の頃、人や社会のために数学や物理で何ができるのかを考え続け、顔面麻痺になるほどに深く悩み、渋滞学に至ったことも。では、渋滞とはどういう現象か。

オペラ歌手でもあるという艶のある声にのせて繰り広げられる軽快な語りに、スカラー候補生たちからは自然に笑いが湧き起こり、あっという間に西成教授の世界に惹き込まれました。そして、渋滞学のあまりの面白さに、スカラー候補生から次々と質問が飛び出して、なかなか講義が先に進まない場面も。

西成教授は語ります。数学は自然の摂理を表しているから、大統領など人が作ったあらゆるものに勝る。しかし、数学的に否定されること以外は、トップランナーを目指して、周囲の人が否定することをしなさい。人は新しいことをすると必ず否定するものだ。最初は苦労する。しかし、絶対に7年間諦めずに続けること。その間、そうとう大変な思いをする。でも、7年続けると、周りの人があいつ頑張っているな、と認めてくれるから。

最初はマイナスでいい。数年後にうまくいけばいい。渋滞を思い出して。ゆっくり行くと、最後は早く着く。

西成教授の思いのたくさん詰まった講義に、スカラー候補生たちは高揚した表情を浮かべ、両手に抱えきれないほどのおみやげをもらった様子でした。突出した才能がありながら不登校となっているスカラー候補生たちには、西成教授のメッセージがより一層鮮やかに響いたのではないでしょうか。

vol.002
ROCKETの第1回目の授業

2015年2月26日、27日の二日間に渡って、ROCKETの第1回目の授業が行われ、スカラー候補生が2ヶ月ぶりに集まりました。

授業初日は、「君たちはこの素材をどう調理するか?」と題し プロジェクト・ベースド・ラーニング(Project Based Learning。以下、PBLと略記)体験が行われました。子ども達に与えられた素材は「イカ」、作る料理はイカスミパエリア。ほとんどのスカラー候補生にとって、イカをさばくのは初めての体験です。それぞれに試行錯誤を重ねながら、大人をあっと驚かせる独創的なイカスミパエリアができあがりました。このPBL体験でスカラー候補生たちは、最終的なイメージを作り、段取りを考えながらプロジェクトを進めて行く事の重要性を感じたようです。

次に、2日間にかけて3Dプリンタについての講義が行われました。3Dスカラー候補生からは、もっと関数のことやCADの事を教えてほしい!と、早速意欲満々の声が挙がりました。

二日目は、元オリンピック陸上競技日本代表の為末大さんによる「自分流の生き方とは」の講義でスタート。為末さんは様々なエピソードを語りながら、スカラー候補生にいくつかの問いを投げかけます。「絶対に譲れないものはなんですか?」「夢は?」「誰の言う事なら聞きますか?」「負けたくない人・事は何ですか?」。そしてスカラー候補生たちに「自分が何にこだわりをもつのかを見つけてほしい」というメッセージが送られました。講義後は、為末さんと走ろう!と外へ出て、スカラー候補生は皆全力で走り抜きました。その後は為末さんを囲んでのランチ。スカラー候補生たちからの質問が絶えず、「(フォームの)崩しの限界はどこにあるのだろうか」、「感覚の始まりって何だろうか」といったような、ユニークな視点をもった質問も出ていました。

二日目最後は、中邑ディレクターによる「頭の中を掃除してみよう」という講義。「一人暮らしの君が大学に出かける前、朝の準備はどのように進めるか?」を題材に、用意されたが課されました。この講義の狙いは、物事には理屈があることを理解し、なぜその行動を選択するのかを徹底的に問い、効率良く行動する方法を整理して考えるという「科学的思考」のトレーニング。講義を通し、身近なところにこそ学習の種が転がっていることがスカラー候補生へ伝わったようです。

子どもたちの「ユニークさを潰さない」ためには、放任ではない容認と、先回りの心配ではなく事後の補い、その大切さを感じた2日間でした。

vol.001
ROCKET 開校!

2014年12月10日、東京大学先端科学技術研究センターでROCKET開校式が行われ、全国から選抜された15名のスカラー候補生が会場に集まりました。

開校式では、日本財団笹川陽平会長、先端科学技術研究センター西村幸夫所長、福島智教授、文部科学省児童生徒課内藤敏也課長にご挨拶いただき、その後、中邑賢龍ディレクターからROCKETプロジェクトの今後の計画について説明が行われました。その中で、ディレクターが出席者へスカラー候補生を紹介していくと、自作のロボットなど自らの作品を披露するスカラー候補生が出てきて、会場から驚きの声や笑いが沸き起こりました。

続いては、ロボットクリエイター高橋智隆氏によるトップランナー講義。

スカラー候補生たちは質疑応答の時間が待ちきれない様子で、講義の途中でもどんどん手を挙げ、「ロボット三原則についてどう考えていますか?」、「ロボット産業の未来については?」、「ドラえもんは実現できると思いますか?」など、高橋氏へ質問を盛んに投げかけていました。そして、高橋氏からの「好きなことをするのが大事。迷ったらユニークで面白い方を選択すること。手を動かすことの中からアイディアが生まれてくる。」というメッセージを、スカラー候補生たちは、ニコニコしながらうなづいたり、真顔で斜め下をじっと眺めていたり、と、それぞれの表現手段で受け取っている様子でした。

その後はROCKETの教室ツアーや中邑ディレクターとの議論などが行われ、スカラー候補生たちは緊張のほぐれた表情で対話を重ねていました。特徴的であったのは、対話の相手がスカラー候補生同士であれ、東大教授であれ、立場や年齢を超えた真剣な議論が各地で展開されていたことです。それは、スカラー候補生たちと歩むROCKETの姿が、少し垣間見えたような光景でした。

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